高猿山寳塔院。旧小机領三十三所子歳観音霊場、武相寅歳薬師如来霊場
寳塔院の概要
高野山真言宗寺院の寳塔院は、高猿山と号します。寳塔院の創建年代等は不詳ながら、かつては字堂山にあったといいます。その後当地へ移転、正徳年間(1711-1715)に堂宇を建立した祐圓を中興とするといいます。旧小机領三十三所子歳観音霊場31番、武相寅歳薬師如来霊場6番です。
山号 | 高猿山 |
---|---|
院号 | 寳塔院 |
寺号 | - |
本尊 | 大日如来像 |
住所 | 横浜市緑区白山2-35-12 |
宗派 | 高野山真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
寳塔院の縁起
寳塔院の創建年代等は不詳ながら、かつては字堂山にあったといいます。その後当地へ移転、正徳年間(1711-1715)に堂宇を建立した祐圓を中興とするといいます。
新編武蔵風土記稿による寳塔院の縁起
(猿山村)寶塔院
除地、二段三畝二十歩、外に三町一段七歩山あり、又観音堂除地八段九畝七歩、村の巽にあり、古義真言宗、橘樹郡鳥山村三會寺末、高(一作弘)猿山と號す、當寺もとは字胴山にありしを、何のころにや此地へ移せりといふ、開山詳ならず、其後祐圓といへる僧、正徳年中堂宇を建立せしかば、此僧を中興開山とせり、本尊大日坐像長七寸許なるを安置す、客殿六間に五間坤に向ふ。
観音堂。客殿に向て左にあり、三間に三間半、本尊は立像にして長二尺、堂のまへ右の方に石階數級あり。(新編武蔵風土記稿より)
寳塔院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿