川合寺。茅ヶ崎市にあった寺院を明治27年引寺
川合寺の概要
日蓮宗寺院の川合寺は、妙鏡山と号します。川合寺は、慈髻院日珠が茅ヶ崎市にあった別付山本妙庵を明治27年当地へ引寺移転し、妙鏡山川合寺と改号したといいます。
山号 | 妙鏡山 |
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院号 | - |
寺号 | 川合寺 |
住所 | 横浜市西区元久保町5-12 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
川合寺の縁起
川合寺は、慈髻院日珠が茅ヶ崎市にあった別付山本妙庵を明治27年当地へ引寺移転し、妙鏡山川合寺と改号したといいます。
「横浜西区史」による川合寺の縁起
妙鏡山川合寺(日蓮宗、本山池上本門寺)
元久保町五-一二。住職大沢玄瑞。本尊大曼荼羅。明治二十七年、慈髻院日珠が、高座郡松林村(現茅ヶ崎市)の別付山本妙庵を現在地に引寺移転して、山号寺号を改め、妙鏡山川合寺とした。(「横浜西区史」より)
「横浜市史稿 佛寺編」による川合寺の縁起
川合寺
位置及寺格
川合寺は、妙鏡山と號し、中區久保町九百二十一番地にある。境内は千五百四十九坪。本山龍口寺の末、頭中本寺で、寺格は平僧五等、京都府燈明寺及び甲府市妙松寺を末寺とする。
沿革
明治二十七年八月、本山龍口寺貫首藤原日迦僧正の盡力を以て、新寺として建立したもので、開基は妙鏡居士川合芳太郞、開山は慈髻院日珠上人である。妙鏡居士記する所の燈明寺寶塔由來記に、「明治二十六年、予、日蓮管長小林日董上人の囑に依り、米國に開催せる萬國宗敎大會に、日蓮宗代表として列して歸り、その記念の爲め一宇を橫濱に創立し、名づけて妙鏡山川合寺と曰ふ。是に於て諸耆宿相商り、燈明寺を當山の末寺と爲す」とある。本堂は國禱殿と稱し、傳、後醍醐天皇皇子大覺大僧正眞作の日蓮大士の像を安置し、客殿・庫裡等。輪奐の美を備へたが、圖らずも大正十二年九月一日の大震災に、悉皆倒潰の厄に罹つた。依つて一時假堂を營みて、法務を執つたところ、川合芳次郞が再び淨願を發して、私財を投じ、昭和二年十二月、先づ客殿の再興を遂げ、翌三年十二月、國禱殿の再建を完成するに至った。
本尊
本尊は佐渡始顯顏十界大曼茶羅、日本國衞護大本尊國禱の日蓮大士像である。(「横浜市史稿 佛寺編」より)
川合寺の周辺図
参考資料
- 横浜西区史(西区教育委員会)
- 「横浜市史稿 佛寺編」
参考資料
- 新編武蔵風土記稿