深谷三島神社|梶原景時が祖先鎌倉権五郎景政(景正)を祀る、旧御靈社
深谷三島神社の概要
深谷三島神社は、横浜市戸塚区にある三島神社です。深谷三島神社は、梶原景時がその祖先である鎌倉権五郎景政(景正)を祀り、文治年間(1185-1189)に創建、御霊社と称していたといいます(文治年間には梶原景時が専念寺を再建しています)。江戸期には村の鎮守社として崇敬されていました。三島社が相殿に祀られていたことから、明治維新後に三島神社と改めたようです。
社号 | 三島神社 |
---|---|
祭神 | 鎌倉権五郎景政、大山咋命 |
相殿 | - |
境内社 | 大六天社、秋葉神社 |
住所 | 横浜市戸塚区深谷町1637 |
祭日 | - |
備考 | - |
三島神社の由緒
深谷三島神社は、梶原景時がその祖先である鎌倉権五郎景政(景正)を祀り、文治年間(1185-1189)に創建、御霊社と称していたといいます(文治年間には梶原景時が専念寺を再建しています)。江戸期には村の鎮守社として崇敬されていました。三島社が相殿に祀られていたことから、明治維新後に三島神社と改めたようです。
新編相模国風土記稿による三島神社の由緒
(深谷村)
御靈社
村の鎮守とす、神躰甲冑の像なり、三島明神を相殿とす、例祭九月廿日村持下同じ、(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による三島神社の由緒
文治年間梶原景時の創建である。景時の祖・景政の神霊をまつり、相殿に伊豆三島明神を勧請して御霊社と称し、子孫繁栄、武運長久を祈った。村人も共にこれを鎮守として尊崇し、後に社号を三島神社と改めたものである。寛延二年(一七四九)十二月八日改築の棟札を存する。現社殿は大正三年三月の改築にかかる。(神奈川県神社誌より)
「戸塚区郷土史」による三島神社の由緒
三島神社(深谷町一〇二六番地)
「相模風土記稿」によると、御霊社の条下に村の鎮守とし、神体は甲胄の像を祭り、三島明神を相殿するとあるが、創建の年代は不詳。江戸時代前は御霊社と呼ばれ、村岡御霊社にぞくし、鎌倉権五郎景政を祭祀していたようである。(「戸塚区郷土史」より)
境内掲示による三島神社の由緒
今より約七百七十余年前の文治年間に梶原平三景時が創建したものである。景時はその祖、鎌倉権五郎景政が崇敬していた専念寺を再建するに当り傍の丘陵を開拓して社殿を建て景政の神靈をまつり相殿に伊豆三嶋神社を勧請して御靈社と稱した。後に至り社名を三嶋神社と改め現在に至った。社殿については寛延二年十二月八日(今より三百余年前徳川時代)の棟札があり現在の社殿は大正三年三月三十日新築され昭和四十九年十月修理改築されたものである。(境内掲示より)
深谷三島神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿