富塚山親縁寺。鎌倉時代末期に創建
親縁寺の概要
時宗寺院の親縁寺は、富塚山と号します。親縁寺は、呑海(嘉暦2年1327年寂)が開山となり、元応元年(1319)創建したといいます。
山号 | 富塚山 |
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院号 | 雙林院 |
寺号 | 親縁寺 |
住所 | 横浜市戸塚区戸塚町464 |
宗派 | 時宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
親縁寺の縁起
親縁寺は、遊行4世呑海(嘉暦2年1327年寂)が開山となり、元応元年(1319)創建したといいます。
新編相模国風土記稿による親縁寺の縁起
(戸塚宿)親縁寺
時宗藤沢清浄光寺末、富塚山と号す。本尊三尊弥陀、長さ三尺運慶作。開山は呑海、嘉暦二年二月十八日寂す。元応元年の創建なり。
鐘楼。鐘は寛延四年鋳る所なり。
薬師堂。恵心の作佛を置、長一尺三寸。
閻魔堂。(新編相模国風土記稿より)
「戸塚区郷土史」による親縁寺の縁起
親縁寺(戸塚町四六四番地)寺宗
富塚山双林院と号し、藤沢山清浄光寺(通称遊行寺)の末寺で、寺院明細帳には「元応元年(月日不詳)僧呑海開基創建」と記し、相模風土記稿にも「寺宗藤沢清浄光寺末富塚山と号す。本尊三尊弥陀長三尺運慶作開山は呑海嘉暦年二二月十八日寂す元応元年の創建なり」と記しているので、元応元年(一三一九)遊行四代の呑海上人によって開創されたものと思われるが、寺伝はもと富塚八幡の隣接地に、東海道に面して建てられていた真言宗の寺院であったが、いつしか荒廃していたのを、元応年間呑海が当地巡行の折り、改宗して寺宗にしたというている。以来火災・地震にあうこと数次におよび、安永九年三十二代智元の代に堂宇を再建、大正十二年の関東大震災の際には山門庫裏が倒壊したため、翌十三年山門(楽医門造)を改築、十四年五月四十九代慶善が庫裏を再建し、今日におよんでいる。
境内に地蔵堂があり、日限地蔵尊が安置されている。地蔵尊は遊行四十七代唯称の発願により、勧請されたもので、伝承によれば唯称は幼時虚弱なりしため、両親は一心に地蔵尊にその成長と無事息災を祈念した。その甲斐あって学問修業ますます優れ、ついに遊行上人になることができたという。たまたま元禄十六年当地に遊行したとき、地蔵が枕辺に立ち口宣があり、当地にとどまり衆生を化益したいと申されたので、台宿金子久右衛門とはかり、名工を招き、彫刻したのが、この尊像であったという。昭和六年日限地蔵講を設立、以来十六年までは四月四日を大祭とし、遊行上人を招くなど盛大であった。
古塚 境内七千坪、内に皇谷茶堂・藤塚などの古墳があったという。
名木 銀杏 周五メートル
椎 周五メートル(「戸塚区郷土史」より)
親縁寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿