一心山専念寺。東海三十三観音霊場、准秩父三十四観音霊場
専念寺の概要
浄土宗寺院の専念寺は、一心山稱名院と号します。専念寺は、僧昭西が創始した観音堂を、明譽(承応3年1654年寂)が開山となり創建したといいます。東海三十三観音霊場13番、准秩父三十四観音霊場19番です。
山号 | 一心山 |
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院号 | 稱名院 |
寺号 | 専念寺 |
住所 | 横浜市鶴見区市場東中町3-18 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
専念寺の縁起
専念寺は、僧昭西が創始した観音堂を、明譽(承応3年1654年寂)が開山となり創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による専念寺の縁起
(市場村)専念寺
東北の方海道より六十間餘退てあり、一心山稱名院と號す、浄土宗京都知恩院末にて川崎宿教安寺の觸下なり、開山明譽承應三年正月八日示寂せり、客殿五間半に四間、本尊阿弥陀坐像二尺五寸許なるを安ず。
観音堂
客殿の前にあり、二間半に二間、千手観音の木像長五寸許なるを安ず、臺座は唐木と見ゆ、傳へ云佛師定朝が作にして、近江國石山寺観音の模寫なりと、始は故有て江戸芝井町に住せし商人の家に持傳して、元禄年中かの商人が最愛の女の死せし時その菩提の為に當寺に寄附せりと、又此堂は昔境内に祀れる富士浅間の本地佛十一面観音を安せし堂なるが、年歴で破壊に及び本尊も失ひたるを再興せしものと云傳へり。(新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿 佛寺編」による専念寺の縁起
專念寺
位置及寺格
專念寺は、一心山彌陀院と號し、鶴見區市場町一千五百八十八番地に在る。境内は一段十三步。官有地。東京市芝區增上寺末で、寺格は準能分一等である。新秩父三十三所觀音靈場の第十九番札所。兼ねて又、東海三十三所の第十三番札所である。
沿革
寺傳に據れば、昭西なる僧が草創したもので、初は觀音堂であつたのを、其後、知恩院の僧が興隆して、一寺としたものと云ふ。寶曆年間、誠譽の代に再建し、天保十三年、將軍家齋の女盛姫の歸依を得、佛像の修理、佛具の寄進があり、漸く寺門の隆盛を見るに至つた。然るに安政年間、地震及び大風の爲め、堂舍大破に及んだので、時の住職通蓮社達譽向阿譽音が萬人講を起し、淨財を積んで、堂宇の再建を遂げた。然るに大正十二年の大震災に、再び倒壊したので、現住佐々木戒淳が今の寺域を拓いて、此地もと結戒山と稱し、富士淺間社の敷地であつた を、明治維新後は神官の有に歸してゐた。よつて住職は災後交渉して寺地に戻し、之を拓いたのである。同十五年に、本堂を再建した。
本尊
本尊は、阿彌陀如來末木坐像長二尺三寸五分。傳、行基作である。(「横浜市史稿 佛寺編」より)
専念寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿