山田神社|明治43年に近隣の14社を合祀して成立
山田神社の概要
山田神社は、横浜市都筑区南山田町にある神社です。山田神社は、明治43年に近隣の村社である神明神社を諏訪神社・八幡神社・稲荷神社等十四社とともに妙見社に合祀、山田神社と改称したといいます。妙見社は、文安5年(1445)の創建だといい、合祀した諏訪社は貞観2年(860)の創建だといいます。
社号 | 山田神社 |
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祭神 | 大日孁貴神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 横浜市都筑区南山田町3795 |
祭日 | 10月13日 |
備考 | - |
山田神社の由緒
山田神社は、明治43年に近隣の村社である神明神社を諏訪神社・八幡神社・稲荷神社等十四社とともに妙見社に合祀、山田神社と改称したといいます。妙見社は、文安5年(1445)の創建だといい、合祀した諏訪社は貞観2年(860)の創建だといいます。
新編武蔵風土記稿による山田神社の由緒
(山田村)
○神明社
除地、四畝許、村の坤の方村界にあり、大門六十間ばかり、兩側に松の並木ありて鳥居を立つ、本社は小社にて二間に三間の拝殿を造添へり、例祭は年々八月二十日、九月二十一日の兩度に祭れり、神體は木の立像にて長一寸五分、村内長泉寺の持なり、以下十二社ともに同寺の持なり。
○妙見社
除地、二町歩、村の南中原新道にあり、大門二丁ばかりありて、石階の下に石の鳥居を立、本社は僅に五尺餘に七尺餘、幣殿二間に四間、拝殿六間に三間を造添へり、例祭は四月六日、九月二十六日の兩度なり、神體は立像にて長一尺ばかり、いと古佛なり、當社に元亀三年九月二十二日、石井惣□野□栗原などしるせし棟札あり、其外は文字うせて分明ならず、又一枚は元和三年六月六日とありて、下に名主職□藤左衛門・高野源左衛門・名主八木豊後守・大嶋八左衛門などとあり、いかにも社地古きさまにて老松繁茂せり、社前に石の二王を置く、寛文の銘を刻めり、傍に草庵を設く、これ宮守の居る所なり。
○八幡社
除地、四畝、村の南にあり
○熱田社
除地、一畝、同く南の方にあり
○熊野社
除地、一畝、西の方にあり
○子ノ神社
除地、北の方にあり
○稲荷十社
村内所々にあり、小祠にしてわづかづつの除地あり、そのうち二社は村内観音寺持。
○諏訪社
見捨地、二町七段五畝歩、村の北の方にあり、此外社地免四段ばかりは地頭河野伴右衛門寄附せり、神體は束帶の坐像にて、冠の上に蛇の蟠たるを頂きたる状なり、例祭は八月二十日、九月二十六日の兩度にあり、観音寺の持。以下四社同寺の持なり。
○第六天社
除地、三畝、字日面にあり。
荒神社
除地、四坪、字徳持谷にあり。
○八幡社
除地、一畝、徳持谷にあり、上屋七尺四方、神體束帶の立像にて長六寸許、此處を土人呼て八幡山と云。
○子神社
除地、一畝、字権現堂にあり。 (新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による山田神社の由緒
記載なし(神奈川県神社誌より)
山田神社所蔵の文化財
- 山田神社本殿附棟札一枚(横浜市指定有形文化財)
山田神社本殿附棟札一枚
山田神社は、明治四三年に近隣の村社である神明神社を諏訪神社・八幡神社・稲荷神社等十四社とともに妙見社に合祀した際、地名にちなんで山田神社と改称されました。社伝によると、諏訪神社は平安時代前期、貞観二年(八六〇)に、妙見社は室町時代中期、文安五年(一四四五)に鎮座されたと伝えられています。
現在の本殿は、棟札により天保十三年(一八四二)の造営であることが判ります。正面柱間〇.九一メートルの小規模な一間社流造で、正面に軒唐破風・千鳥破風を付け、屋根をこけらで葺いています。
この本殿の最も大きな特色は、彫物が多用され、しかも建築とよく調和していることです。彫物はけやきの素木造で、向拝柱には丸彫の竜が巻き付き、壁面には仙人像、欄間には鳳凰、脇障子には鷹に松など主題は多種多様です。
以上のように山田神社本殿は、小規模な一間社流造ですが、素木造の精巧な彫物を多用し、彫物と建築がよく調和した江戸時代末期の、典型的な例として貴重です。(横浜市教育委員会掲示より)
山田神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿