岩澤山天宗寺。村民伊左衛門の先祖岩澤氏が開基
天宗寺の概要
浄土宗寺院の天宗寺は、岩澤山香樹院と号します。天宗寺は、村民伊左衛門の先祖岩澤氏(法名香樹院天譽祟順)が開基となり、小机泉谷寺5世東譽(慶長8年寂)が開闢、川和村内の字屋敷村に創建したものの、いつしか当地へ移転したといいます。当寺の観音像は、もと岡山法輪山浄土寺の本尊で、奈良・浅草用明山聖徳寺を経て、当寺に安置されたものだといいます。
山号 | 岩澤山 |
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院号 | 香樹院 |
寺号 | 天宗寺 |
住所 | 横浜市都筑区川和町1694 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
天宗寺の縁起
天宗寺は、村民伊左衛門の先祖岩澤氏(法名香樹院天譽祟順)が開基となり、小机泉谷寺5世東譽(慶長8年寂)が開闢、川和村内の字屋敷村に創建したものの、いつしか当地へ移転したといいます。当寺の観音像は、もと岡山法輪山浄土寺の本尊で、奈良・浅草用明山聖徳寺を経て、当寺に安置されたものだといいます。
新編武蔵風土記稿による天宗寺の縁起
(川和村)天宗寺
除地、一段五畝、村の北の方にあり、古は字屋敷村の内にありしといへど、ここにうつせし年代をしらず、岩澤山香樹院と號す、浄土宗小机泉谷寺の末なり、本山第五世東譽の開闢なり、東譽は慶長八年十二月十五日寂す、開基は村民伊左衛門が先祖なり、彼が氏を岩澤と云、又先祖の法號を香樹院天譽祟順と云故、寺院の名及び山號等みなこの字をとりしといへり、客殿六間四方、本尊は三尊の彌陀立像にして、長二尺餘。
観音堂。飯綱社の前にあり、其縁起を閲るに、此観音は、もと備後國御調(ミツキ)郡瓦道村法輪山浄土寺の本尊にて、上宮太子の作なり、遥の星霜をへて堂塔廢れんとす、其頃安丸と云もの信者にて、此像を奉し、大和國薩た(土垂)村へゆきけるに、おなしほとりに勝太夫と云ものあり、安丸を深くうらむことありて、折をうかがひ、あるとき忍びて一太刀切付けるに、安丸ふしぎに其難をのがれてつうtかなかりけるにより、初て観音の利益あらはれける、後其子孫僧となり欣譽と號し、江戸浅草用明山聖徳寺の第三十四世の住職たりしとき、この観音をうつしをきしが、夫より僧榮長及び旭阿につたへ、ついにこの地へ堂宇を造立して安置せり、時に享保年間のことなりと云々、今はその頃の堂も破壊せしにや、假初に作りしさまなり。(新編武蔵風土記稿より)
天宗寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿