足立高砂神社|足立区足立の神社

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足立高砂神社|石川勘七家の地主稲荷社として創建

足立高砂神社の概要

足立高砂神社は、足立区足立にある高砂神社です。足立高砂神社の創建年代は不詳ですが、石川勘七家の地主稲荷社として天明年間(1781-1789)に創建、大正2年の荒川放水路開削に伴い千住飛地2丁目392番地へ遷座、昭和26年当地へ遷座したといいます。

足立高砂神社
足立高砂神社の概要
社号 高砂神社
祭神 倉稲魂命
境内社 -
相殿 -
住所 足立区足立1-27-17
備考 -



足立高砂神社の由緒

足立高砂神社の創建年代は不詳ですが、石川勘七家の地主稲荷社として天明年間(1781-1789)に創建、大正2年の荒川放水路開削に伴い千住飛地2丁目392番地へ遷座、昭和26年当地へ遷座したといいます。

「ブックレット足立風土記花畑地区」による足立高砂神社の由緒

旧千住北組の神社
高砂神社(勘七稲荷)(足立1−27)
祭神は倉稲魂命で、千住北組飛地2丁目の4丁目耕地と東中沼耕地の守護神。三軒家・石川勘七家の地主稲荷社で、天明年間(1781ー89年)に京都伏見稲荷より勧請しました。勘七家は荒川放水路開削で、河川敷地内にあたったため、1913(大正2)年頃に同じ三軒家の内田鎌太郎邸内に旧社殿を一時移転しました。その後、1950(昭和25)年、高砂町内有志により、現在地に社殿を建立しました。(「ブックレット足立風土記花畑地区」より)

境内石碑による足立高砂神社の由緒

高砂神社は古来勘七稲荷と稱し御祭神は倉稲魂命を奉祀し武蔵国南足立郡千住宿北組飛地二丁目の四丁目耕地及び東中沼耕地等の守護神として五穀豊穣悪病除けの霊験著なる氏神にて村人の崇敬厚く旧神域は下妻街道に架る六道橋より伊藤谷橋に至る前街道の北側に廣大なる境内には樹齢二三百年の老松高く聳へ雑木生茂る中に文久元年九月七日建立せる茅葺の社殿にて子供等のよき遊び場なりき明治四十年七月豪雨により利根川初め荒川等の河川氾濫し大被害を生じ更に命じ四十三年八月亦々大豪雨あり。関東の各河川の堤防決壊し当地の一部見んかも濁水に没するもあり。打続く水害に住民は再起の意気へ喪失する程なりき茲に内務省に於て十ヶ年の経続事業として将来の水害防除のため岩淵村より荒川放水路の開削を決し明治四十四年起工され当神社もその河川敷に当り止むなく大正二年千住飛地二丁目三百九十二番地に三十坪の土地を神域と定め旧社殿を其まま移転奉祀せるものなり。其後地域の発展氏子の増加により神殿改築の議起り氏子有志相謀り移転を決定。昭和二十五年氏子の勤募金を以て千住四丁目井原伊兵エ氏の所有せる現在地二百六十三坪金三十萬円也にて譲り受け神域とし先づ社殿を建立し昭和三十一年法人組織となし以来宗教法人高砂神社と稱するに至る其後神輿庫社務所奥宮社号碑又町内より應召不幸戦没せる英霊を祀るべく慰霊碑を建立し其冥福を祈る。又有志の寄進による水屋手洗鉢大燈籠庭石霊狐をそなえ神域の整備を完了せり。此の地に移転鎮座二十周年に当り狛犬一対を奉献し之を記念し此の碑を建つ(境内石碑より)

足立高砂神社の周辺図