淵の宮氷川神社|淵江領最古の氷川神社、淵江領の総鎮守
淵の宮氷川神社の概要
淵の宮氷川神社は、足立区東伊興にある氷川神社です。淵の宮氷川神社の創建年代は不詳ですが、淵江領では最古の氷川神社で、淵江領の総鎮守社であったといい、その後伊興村・竹塚村・保木間村の鎮守社となったといいます。明治5年村社に列格しました。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 須佐之男命、大己貴命、櫛稲田姫命 |
相殿 | - |
境内社 | 浅間社、稲荷社、熱田社、白幡者、三峰社 |
住所 | 足立区東伊興2-12-7 |
備考 | 伊興・竹塚・保木間村鎮守、村社 |
淵の宮氷川神社の由緒
淵の宮氷川神社の創建年代は不詳ですが、淵江領では最古の氷川神社で、淵江領の総鎮守社であったといい、その後伊興村・竹塚村・保木間村の鎮守社となったといいます。明治5年村社に列格しました。
「足立区教育委員会掲示」による淵の宮氷川神社の由緒
当社は足立区内最古の氷川社で、往古、淵江領の総鎮守であった。江戸期に村々の開発がすすむと共に、各地にも鎮守が祀られ、この社は伊興、竹塚、保木間三村の鎮守となり、明治5年からは伊興村の村社となった。
奥東京湾の海中にあった足立区が、陸地化していく過程で、この附近が最も早く陸地となり、大宮台地あたりからの移住者が、武蔵国一の宮である大宮の氷川神社から分霊を勧請したものと考えられている。当時はまだこの周辺は淵が入りくんでいたところから「淵の宮」と呼ばれ、また区内一帯の呼称として、淵江郷、淵江領が生じたものであろう。
付近一帯は、古代遺跡で、弥生式土器、土師器、須恵器、また鏡・勾玉・管玉・臼玉などの祭祀遺物や漁具として土錘、さらに住居趾、井戸跡など生活遺構がたくさん出土しており、伊興遺跡といわれる埋蔵文化財包蔵地を形成している。
昭和57年12月足立区登録記念物(史跡)とした。(足立区教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による淵の宮氷川神社の由緒
(伊興村)氷川社
當村及ぶ竹塚・保木間三村の鎮守とす、社中に慶長十四年二月十八日の棟札あり、其表面に伊興村氷川大明神、大檀主御代官河内輿兵衛知親と記し、其餘百姓の名多数見ゆれど、新たに造立せしや、又再興にや詳ならず。
別當覚蔵院
本山修験、中尾村玉林院の配下なり。(新編武蔵風土記稿より)
「ブックレット足立風土記伊興地区」による淵の宮氷川神社の由緒
氷川神社
氷川神社は、伊興遺跡公園と道一つ隔てた場所の樹々の繋がる森のなかに鎮座しています。当社は「渕の宮」とも呼ばれ、足立区内最古の氷川社であり、往古は渕江領の総鎮守でもあったので、足立区登録記念物となっています。江戸時代に各村々で鎮守が祭られるようになると、氷川神社は伊興村・保木間・竹塚村の三か村の鎮守となります。さらに渕江村から伊興村が独立した1872年からは、伊興一村の村社となりました。神社の祭祀は、かつての伊興村の小西嶋・北根・狭間・早房・横沼・下戸・大西嶋・駅前の8ズシの各ズシから選ばれた神社総代によって神社の諸行事が実施されています。神社行事は、1月6日の元始祭、7月15日の虫除祭、9月29日の大祭、12月31日の大晦日祓などです。(「ブックレット足立風土記伊興地区」より)
淵の宮氷川神社所蔵の文化財
- 伊興遺跡
淵の宮氷川神社の周辺図