日ノ出神社|現荒川底の地域にあった稲荷神社
日ノ出神社の概要
日ノ出神社は、現荒川底の地域にあった稲荷神社を起源とし、弥五郎新田稲荷神社(西ノ宮稲荷神社)へ合祀後、昭和28年に分社して勧請されました。
社号 | 日ノ出神社 |
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祭神 | 倉稲魂神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 足立区日ノ出町37 |
備考 | 弥五郎新田稲荷神社(西ノ宮稲荷神社)の分社 |
日ノ出神社の由緒
当社は稲荷大明神なる五穀をつかさどる倉稲魂神(素盞雄尊の御子)をお祀りしてあります。
昔からこの辺一帯を弥五郎新田と称されていたが、明治44年、荒川放水路の開設工事が起工されるにあたり、その計画線内に在って、川底に水没する筈の稲荷神社を、時の弥五郎新田戸長、大塚孫左氏が、村民の総意によって五反野の稲荷神社(足立区足立3丁目、西ノ宮稲荷神社)に合祀し、後にこの分れの神社として現在の場所(日ノ出町)へ祀られたものであります。
戦前迄は五反野稲荷の支社として祭事が行われてきたが、戦時は時の流れから神事など一時すたれていたものを昭和28年に至り、総代新井竜祐氏等が相はかり、氏子一同の寄付金によって社殿の改修を行い、神輿も新調され、祭礼が行われました。
これを機に、五反野の親宮から分離独立致し、爾来元宮としての日ノ出神社と称する事になった次第であります。(日ノ出町自治会)
日ノ出神社の周辺図