一ツ家稲荷神社|深川の材木商冬木屋の別邸内に勧請した稲荷神社
一ツ家稲荷神社の概要
一ツ家稲荷神社は、足立区一ツ家にある稲荷神社です。一ツ家稲荷神社は、文禄年間(1592-1596)頃に開発が進められた当地(栗原新田)の鎮守として祀られたのではないかとされます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 宇迦之御魂命 |
相殿 | - |
境内社 | 三峰神社 |
祭日 | 9月9日 |
住所 | 足立区一ツ家4-2-18 |
備考 | - |
一ツ家稲荷神社の由緒
一ツ家稲荷神社は、文禄年間(1592-1596)頃に開発が進められた当地(栗原新田)の鎮守として祀られたのではないかとされます。
東京都神社名鑑による一ツ家稲荷神社の由緒
記録によると、その昔当地は足立郡渕江領栗原村に属し、綾瀬川添いにある飛地であったようで、原島と呼称され、また安永年間(一七七二-八〇)のころは栗原新田とも唱えられていた。渕江領下の各新田の開地の年代は記録によると、おおかたは文禄年間(一五九二-六)前後の代と思考されるようで、当時の先人たちは十数戸をもってこの広野をひらき、一集落を形成したといわれ、そして土地鎮護のため社宇を創建、村人たちの加護を祈念したと思われる。
創立年代は不詳であるが、元禄六年(一六九三)四月、宝永七年(一七一〇)十月、寛政九年(一七九七)九月の棟札等が残されている。現在この神社の境内には往時の先人たちが、平安を願った各事蹟が残されている。その昔、土と苦楽をともに、生きる知恵として神仏を崇めてきた人たちの素朴な心情がしのばれる。爾来、いくたの村をあげての変遷を経たのであるが、三百九十有余年という長い歳月をもって今日に至っている。(東京都神社名鑑より)
「ブックレット足立風土記梅島地区」による一ツ家稲荷神社の由緒
一ツ家稲荷神社(一ツ家四丁目二-一八)
一ツ家地域の鎮守として、古くから崇敬を受けてきた。由緒・創建などについては不明であるが、境内の石造物から、江戸時代中ごろにはまつられていたと思われる。
一八七九(明治一二)年に東京府に提出された「神社明細帳」(東京都公文書館所蔵)によると、祭神は倉稲魂命、由緒不詳、本社間口一間・奥行一間、拝殿間口二間・奥行九尺、境内四六坪、信徒二六人と報告されている。
(中略)
現在は、一ツ家一~四丁目町会と六町二丁目町会の五町会によって、毎年各町会の交代で、管理・運営されている。(「ブックレット足立風土記梅島地区」より)
一ツ家稲荷神社の周辺図