皿沼稲荷神社|足立区皿沼の神社

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皿沼稲荷神社|加賀皿沼村が領家村から分村した江戸時代初期に鎮座

皿沼稲荷神社の概要

皿沼稲荷神社は、足立区皿沼にある稲荷神社です。皿沼稲荷神社は、境内に貞享5年(1688)の庚申石塔があり、加賀皿沼村が領家村から分村した江戸時代初期に鎮座したものと思われます。

皿沼稲荷神社
皿沼稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 宇迦之御魂命
相殿 -
境内社 稗田神社
住所 足立区皿沼3-15-10
備考 江北氷川神社の兼務社



皿沼稲荷神社の由緒

皿沼稲荷神社は、境内に貞享5年(1688)の庚申石塔があり、加賀皿沼村が領家村から分村した江戸時代初期に皿沼の鎮守として鎮座したものと思われます。

稲荷神社造営奉賛会掲示による皿沼稲荷神社の由緒

皿沼稲荷神社は、京都伏見稲荷大社の御分霊をいただき勧請された神社と伝承されております。境内には貞享5年(1688)の庚申石塔があり、約300年以上前から鎮座していたものと思われます。また、境内の末社稗田神社には寛政8年(1796)の刻印、手水舎には文化4年(1807)の刻印がそれぞれあり、古来より地域の崇敬が篤かったことが窺えます。
当皿沼地域は、古くから水田農業を主として農家の集落であり、稲作・穀物にかかわりの深い宇迦之御魂神を奉斎し、先祖代々より五穀豊穣・無病息災・家内安全を願い、皿沼地域の守護神として崇敬されてきました。創建当時は京都までの道程遠く、東海道53次を徒歩で往復し40日以上かかったと言われ、治安の悪い中、先人達の苦労は如何ばかりであったかが忍ばれます。
明治の大水害・大正の関東大震災・昭和の太平洋戦争等を経てきた社殿の損傷も激しくなり、昭和40年代からの氏子一同の悲願であった社殿改修・境内整備事業を平成の時代になり総代を中心に士気を鼓舞し敬神崇祖の念篤き氏子、並びに心ある人々の荘厳華麗な社殿・境内の完成をみたのです。
この心が21世紀を越えて子々孫々まで永遠に続くことを願います。
平成8年9月吉日 稲荷神社造営奉賛会

新編武蔵風土記稿による皿沼稲荷神社の由緒

(鹿浜之内加々皿沼)稲荷社二宇
一は皿沼の鎮守にして、本村寳蔵寺の持、一は加々の鎮神にして、領家村感応寺持なり(新編武蔵風土記稿より)

足立風土記資料神社明細による皿沼稲荷神社の由緒

東京府管下武蔵国南足立郡(江北村大字)加賀皿沼村「254番地」 無格社 稲荷神社
祭神、宇迦御魂命。
社殿間数、本社間口3尺奥行3尺、拝殿間口2間奥行1尺、雨覆間口2間奥行2間。
境内坪数173坪、官有地第1種。
氏子戸数32戸。東京府庁迄4里。

皿沼稲荷神社の周辺図