鷲神社|足立区島根の神社

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鷲神社|古代の海岸線とされる所が南にあり島の根の様にでた地

鷲神社の概要

鷲神社は足立区島根の神社です。鷲神社は、社伝によると文保2年(1318)の中興です。古代の海岸線とされる所が南にあり島の根の様にでた当地に祭神が船で到着したことから浮島明神とも呼ばれたと言います。

鷲神社
鷲神社の概要
社号 鷲神社
祭神 日本武尊
相殿 誉田別命、国常立命
境内社 三峰神社
住所 足立区島根4-25-1
備考 嶋根村村社



鷲神社の由緒

鷲鷲神社は、社伝によると文保2年(1318)の中興です。古代の海岸線とされる所が南にあり島の根の様にでた当地に祭神が船で到着したことから浮島明神とも呼ばれたと言います。

神社内掲示による鷲神社の由緒

往古入江の景勝地なり。伝えて白すに諸神舟にて上陸したる処とて社の淵源は古く日本武尊東国を鎮護せられ、此の地を祀られる尊を稱へ、大鷲尊、又浮島明神とも号す。時へだて源頼義公(源氏旗上げ)崇敬厚く関東一円に奉斎す。当時武蔵国足立郡淵江郷島根と称し、亦島畑多きが故に七祠祭祀あり。元禄8年の検地により全く一村となり、七祠の内ニ柱大神を合祀し八幡社、誉田別命、明神社国常立命の三神明神の社となす。尚郡内に美田を潤し産業・文教に顕あり。八代吉宗公、御成して当吉田伝統が塾を、天下の手本と褒賞せられた。島根囃子・神代神楽も伝統を伝え、明治以降氏子崇敬者よく神徳発揚を計り神域を整えたり。(境内掲示より)

足立風土記資料による鷲神社の由緒

東京府管下武蔵国南足立郡嶋根村字大道北耕地 村社 鷲神社。
祭神、品陀和気命・日本武尊・国常立命。
由緒、「不詳」明治6年7月7日村社ニ被定候。
社殿間数、本社間口2尺、奥行3尺、露防間口2間半奥行2間半、幣殿間口2間奥行3間、拝殿間口2間半奥行3間、祭具置場間口6間奥行1間半。
境内坪数、285坪、官有地第1種。
境内神社2社。
三峰神社、祭神日本武尊・伊邪那美命、由緒不詳、建物本社間口2尺奥行2尺
「削除」稲荷神社、祭神宇迦御魂命・菅原道真公、由緒不詳、建物本社間口6尺奥行6尺。
氏子戸数、120戸。
東京府庁迄、4里3町。(足立風土記資料神社明細明治10年項より)

鷲神社の周辺図