竹塚神社|平安時代に伊勢神宮を勧請して創建
竹塚神社の概要
竹塚神社は、足立区竹の塚にある神社です。竹塚神社は、天元年間(978-982)に伊勢神宮を勧請して創建、源頼義奥州征伐の際には当社に陣をとったといいます。明治7年村社に列格していました。
社号 | 竹塚神社 |
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祭神 | 天照大神 |
相殿 | - |
境内社 | 月夜見神社、稲荷神社 |
祭日 | 9月17日 |
住所 | 足立区竹の塚6-12-1 |
備考 | 竹塚村村社 |
竹塚神社の周辺図
竹塚神社は、天元年間(978-982)に伊勢神宮を勧請して創建、源頼義奥州征伐の際には当社に陣をとったといいます。明治7年村社に列格していました。
境内掲示による竹塚神社の周辺図
人皇64代円融天皇の御宇、天元年間伊勢皇大神観宮を遷し茲に祭る。後天喜4年源頼義公奥州東征の折、当神社境内に宿陣相成り、明治年間に至るまで境域に環濠が存し、本営の跡と伝えられる。頼義公お手植の大樹松有り、凡そ800年星霜隔てる嘉永2年6月6日、雷火の為に枯れるに依りて、延慶2年以来の社殿造替の用材と為せり。
明治7年村社に列せらる。明治以降氏子崇敬老よく、神徳発揚、社地整備を図り面目一新す。(昭和61年 竹塚神社宮司石倉利夫撰)
東京都神社名鑑による竹塚神社の周辺図
円融天皇の御代、天元年間(九七八-三)に、伊勢大神宮を奉斎して遷しまつり、一社を造営したと伝える。その後、天喜四年(一〇五六)陸奥守源頼義公奥州征討のさい、御陣を当社境内に定められ本営としたと申し伝えられる。頼義公御手植の松の巨木は、八百年をへだてた嘉永二年(一八四九)六月六日雷火のため惜くも枯れたが、おりしも社殿造替のときにあたり、用材の一部としたという。境内には寛政九年(一七九七)奉納の御神燈、寛政十二年(一八〇〇)奉納の水舎、文化二年(一八〇五)の銘ある力石等がある。明治十八年には神明鳥居一基が築造された。(東京都神社名鑑より)
竹塚神社の周辺図