梅田稲荷神社|志田先生義広が建立、梅田町の鎮守
梅田稲荷神社の概要
梅田稲荷神社は、足立区梅田にある神社です。梅田稲荷神社は、志田先生義広が建立したと伝えられ、江戸期には梅田町の鎮守(足立区梅田一帯)の鎮守として祀られ、明治維新後は、村社に列格していました。
社号 | 梅田稲荷神社 |
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祭神 | 宇迦之御魂神 |
境内社 | - |
相殿 | - |
住所 | 足立区梅田5-9-5 |
備考 | 梅田村村社 |
梅田稲荷神社の由緒
梅田稲荷神社は、志田先生義広が建立したと伝えられ、江戸期には梅田町の鎮守(足立区梅田一帯)の鎮守として祀られ、明治維新後は、村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による梅田稲荷神社の由緒
(梅田村遍照院項)稲荷社
村の鎮守なり。(新編武蔵風土記稿より)
「足立風土記稿」による梅田稲荷神社の由緒
梅田の西端、遍照院の南側に存在する神社である。志田先生義広が建立した神社と伝える。境内建物は、社殿、神楽殿、手水舎、社務所である。神輿庫には、梅田亀田町会・梅田通町会・梅田神明町会・梅田上町会・梅田稲荷町会・梅田東町会・梅田本町会・梅田五丁目正和町会の九町会の神輿が保管されている。震災前までは神輿は一つであったが、大正末期から入口が増えて、各ズシがそれぞれ持輿を持つようになったという。昭和初期には、梅光会・協和会・梅親会・神明会という四つの神興会があった。
また、社殿正面右手には、さし石(力石)が置かれ、鳥居は、「大正十一年(一九二二)九月」の銘があり、その他境内に、「天明七(一七八七)丁未九月創立」、嘉永七年(一八五四)甲寅十一月再建氏子中」の銘が織立て、記年の銘文が剥離して年代不明の手洗石がある。(足立風土記稿より)
※九町会とありますが、八町会の誤記と思われます
「足立風土記資料神社明細」による梅田稲荷神社の由緒
東京府管下武蔵国南足立郡(梅島邑大字)梅田村字村田 村社稲荷神社
祭神 宇迦御魂命。
由緒 「不詳」明治6年7月5日村社ニ被定候。
社殿間数 本社、間口1間半奥行き1間半。拝殿、間口2間奥行2間。向殿、間口1間半奥行1間。
境内坪数 280坪 官有地第1種
境外所有地 田7畝歩、梅田村字村内耕地。時価金42円55銭6厘
氏子戸数 145戸
東京府庁迄 3里20町。以上(足立風土記資料神社明細明治10年項より)
梅田稲荷神社の周辺図