南千住熊野神社|荒川区南千住の神社

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南千住熊野神社|源義家が永承5年に勧請

南千住熊野神社の概要

南千住熊野神社は、荒川区南千住にある神社です。南千住熊野神社は、源義家が永承5年(1050)勧請したと伝えられるといいます。北千住と南千住を結ぶ大橋を架けた文禄3年(1594)伊奈備前守が当社に成就を祈願、残りの材木で社殿修理を行なったことから、橋の架け替えに際しては祈願と社殿修理が慣例となっていたといいます。

南千住熊野神社
南千住熊野神社の概要
社号 熊野神社
祭神 -
相殿 -
境内社 -
住所 荒川区南千住6-70
備考 -



南千住熊野神社の由緒

南千住熊野神社は、源義家が永承5年(1050)勧請したと伝えられるといいます。北千住と南千住を結ぶ大橋を架けた文禄3年(1594)伊奈備前守が当社に成就を祈願、残りの材木で社殿修理を行なったことから、橋の架け替えに際しては祈願と社殿修理が慣例となっていたといいます。

境内掲示による南千住熊野神社の由緒

熊野神社
創建は永承五年(一〇五〇)、源義家の勧請によると伝えられる。
大橋を荒川(現隅田川)にかける時、奉行伊奈備前守は当社に成就を祈願し、文禄三年(一五九四)橋の完成にあたり、その残材で社殿の修理を行なった。以後、大橋のかけかえごとの祈願と社殿修理が慣例となった。
また、このあたりは材木、雑穀などの問屋が立ち並んで川岸とよばれ、陸路奥州道中と交差して川越夜舟が行きかい、秩父・川越からの物資の集散地として賑わった。(荒川区教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による南千住熊野神社の由緒

(小塚原町)熊野神社
永承5年源義家奥州安倍貞任征伐の時此地を過れり。おりしも荒川漲て渡るに衛なし。義家鎧櫃に納来りし紀州熊野の神幣を取出して祈念しければ、神人忽然とあらはれて浅瀬を渡り示せり。よりて軍兵恙なく渡川しければ、彼神幣を爰に崇め当社を草創せしと云傳ふ。文禄3年9月の棟札あり。
末社。稲荷、水神。(新編武蔵風土記稿より)

南千住熊野神社の周辺図