素戔雄神社|小塚原、箕輪、通新町、三河島、町屋の鎮守
素戔雄神社の概要
素戔雄神社は、荒川区南千住にある神社です。素戔雄神社は、当地に神石がに出現したことから、素戔雄命(牛頭天王)、事代主命の2神を祀り、延暦14年(795)創建したと伝えられます。近郷(旧小塚原町、旧箕輪町、旧通新町、旧三河島村、旧町屋村等)の鎮守となっており、当地周辺の旧地名小塚原も、当社の小高い塚より起ったといいます。
社号 | 素戔雄神社 |
---|---|
祭神 | 素戔雄命、事代主命 |
相殿 | - |
末社 | 熊野神社、日枝神社、若宮八幡宮、浅間社、福徳稲荷神社、菅原神社、稲荷神社 |
住所 | 荒川区南千住6-60-1 |
備考 | - |
素戔雄神社の由緒
素戔雄神社は、当地に神石がに出現したことから、素戔雄命(牛頭天王)、事代主命の2神を祀り、延暦14年(795)創建したと伝えられます。近郷(旧小塚原町、旧箕輪町、旧通新町、旧三河島村、旧町屋村等)の鎮守となっており、当地周辺の旧地名小塚原も、当社の小高い塚より起ったといいます。
境内掲示による素戔雄神社の由緒
小塚原・三ノ輪・下谷通新町・三河島・町屋など、区内で最も広い地域を氏子圏とする鎮守で、「てんのうさま」とも呼ばれる。
石を神として尊崇する信仰は全国各地にみられるもので、当社も石神信仰に基づく縁起を有する。延暦14年(795)、荊石が微妙な光を放ち、その光のうちに翁の姿をしたニ神(素戔雄命、事代主命)が現れて神託を告げたという。そのためその石は「瑞光石」と呼ばれ、出現したニ神を祭神として祀る。
宝暦年間頃(1751-64)まで行われていたという千住大橋綱曳は、その年の吉凶を占う当社の神事で、「東都歳時記」にその雄壮な様が描かれている。(境内掲示より)
東京都神社名鑑による素戔雄神社の由緒
平安時代延暦十四年、宮司家々祖「黒珍」が住居東方の小高い所に、奇岩を認め、これ霊石ならんと日夜斎戒礼拝すると、四月八日夜その奇岩が光を発し、二神翁現われ神託を下す。よって一祠を設け両神を祀り、牛頭天王・飛鳥権現と称した。その後、牛頭天王の祠を西面に、飛鳥権現の祠を南面に造営し、六月三日、九月十五日にそれぞれ遷座する。享保六年両社炎上する。同十二年一社を造営し、両神を祀る。その後に官命により牛頭天王を素盞雄大神、飛鳥権現を飛鳥大神と改め、素盞雄神社と称するようになる。この奇岩は瑞光石といい、小高い所(小塚)より小塚原の地名が始まった。(東京都神社名鑑より)
新編武蔵風土記稿による素戔雄神社の由緒
飛鳥権現牛頭天王合社
小塚原町、箕輪町、通新町、三河島村、町屋村等の鎮守なり。延暦年中に神石上に出現せしを黒珍法印此所に勧請せりと云。祭礼6月3日より9日迄なり。縄引と云祭事ありしか今は絶たり。飛鳥権現は毎年9月15日に湯立あり。
神宝。
諏訪面一枚。背に天文10年6月3日降と彫る。
末社。稲荷二、三峯、天神、地蔵堂
塚。本社に向て右の方にあり。高1丈径3間許。塚上に榎樹三株坐し、其中に瑞光石と称する獅子の鼻に似たる石あち。小笹生茂りて石僅に出。降るへ此塚上の牛頭天王飛鳥権現出現せしゆへ、瑞光の名あり。又此塚を小塚と号せしより地名にも推及びしと云。
御手洗。社地の向にあり広さ1段1畝1歩。(新編武蔵風土記稿より)
素戔雄神社所蔵の文化財
- 庚申塔群3基(荒川区登録文化財)
- 鉄製天水桶(永瀬源内富広作)(荒川区登録文化財)
素戔雄神社の周辺図