日慶寺|荒川区南千住にある日蓮宗寺院

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円心山日慶寺|鎌倉時代末期に創建

日慶寺の概要

日蓮宗寺院の日慶寺は、円心山と号します。日慶寺は、身延山久遠寺二世安立院日向が、谷中に正和年中(1312-1317)創建したといいます。この日慶寺は後廃してしまいましたが、大猷院殿(徳川家光)に仕えた円心院日相尼が、当地に竹露庵妙應堂を造立し、常憲院殿(徳川綱吉)に許可を得て、谷中日慶寺を引き継いたといいます。

日慶寺
日慶寺の概要
山号 円心山
院号 -
寺号 日慶寺
住所 荒川区南千住7-15-4
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



日慶寺の縁起

日慶寺は、身延山久遠寺二世安立院日向が、谷中に正和年中(1312-1317)創建したといいます。この日慶寺は後廃してしまいましたが、大猷院殿(徳川家光)に仕えた円心院日相尼が、当地に竹露庵妙應堂を造立し、常憲院殿(徳川綱吉)に許可を得て、谷中日慶寺を引き継いたといいます。

荒川区教育委員会掲示による日慶寺の縁起

日慶寺
法華宗甲斐国身延久遠寺末、円心山と号す。本尊三寶を安す。相傳本山二世安立院日向、正和年中江戸谷中に於て日慶寺を草創す。後廃して寺号のみ残れり。しかつに大猷院殿に仕奉りし円心院日相尼、志願によりて当所に竹露庵妙應堂といへるを造立して閑居せしに、常憲院殿の御時寛永元年12月願上て彼の谷中日慶寺の遺号を引て当寺を爰に造立すと云り。故に是を開山とす。
寺寶。
開運日蓮木像一体。縁起の略に云、文禄年間朝鮮の役に加藤清正渡海の時、海中出現の像にて家臣加藤平左衛門に与へしを、子孫当寺第3世日貞の時納むと云。
鬼子母神社。大猷院殿御感得の霊像、運慶作にて、開山日相尼へ賜ひしを境内鎮守と崇む。享保3年3月竹姫君より御寄附御紋附の御戸帳あり。
妙光稲荷社(荒川区教育委員会)

荒川区教育委員会掲示による日慶寺の縁起

天文(1532-55)の頃、日慶という比丘尼が谷中に日慶寺を草創した。その後、三代将軍家光に仕えた円心院日相尼が、宝永元年(1704)千住南字砂尾と呼ばれたこの地に、当時荒廃していた谷中日慶寺の遺号を引継ぎ、当寺を開創。そのため円心山日慶寺と号する。現存する鬼子母神像は、運慶作・家光感得といわれ、五代将軍綱吉から、開山日相尼へ下賜されたものと伝える。宝暦9年(1759)には、芝金杉(港区)円珠寺において、出開帳が行われている。また、区内最古で、釈迦の種子のある、正応2年(1829)4月日銘板碑を所蔵する。 元文元年(1736)九代将軍家重が三河島筋で鷹狩を行った際には、当寺が御膳所にあてられている。(荒川区教育委員会)

日慶寺にある荒川区登録文化財

  • 板碑(正応2年4月日銘)

日慶寺の周辺図