運千山真養寺|運千山自性寺として創建、廣布山真養寺を合寺
真養寺の概要
日蓮宗寺院の真養寺は、運千山と号します。萬冶2年(1659)自性院日身が開基となり運千山自性寺として創建しました。元禄2年(1689)下谷上野町廣布山真養寺と、当地で合併、運千山真養寺と改号しています。
山号 | 運千山 |
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院号 | - |
寺号 | 真養寺 |
住所 | 荒川区南千住5-44-4 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
真養寺の縁起
真養寺は、萬冶2年(1659)自性院日身が開基となり運千山自性寺として創建しました。元禄2年(1689)下谷上野町廣布山真養寺と、当地で合併、運千山真養寺と改号しています。明治40年の日光街道拡張により境内が分断されたため、墓地は日光街道の対面にあります。
新編武蔵風土記稿による真養寺の縁起
真養寺
同宗同末(華宗甲斐国身延久遠寺末)なり。運千山と号す。本尊三寶は日親の作、坐像長5寸。相傳ふ当寺は萬冶2年自性院日身と云僧開基して運千山自性寺と号せしが、元禄2年3月下谷上野町廣布山真養寺を此所に引移し当寺に合せて一寺とせし故、山号は旧に従ひ寺号のみ改むと云。真養寺起立は寛永2年にて開山は真行院日暁と云。
鐘楼。寛文11年の鐘を掛。(新編武蔵風土記稿より)
真養寺所蔵の文化財
- 東龍斎清寿の墓(荒川区記念物)
真養寺の周辺図