法要山啓運寺|元和元年下谷に創建
啓運寺の概要
法華宗本門流の啓運寺は、法要山と号します。円住院日立聖人が開山となり、元和元年(1644)下谷1丁目に創建、元禄11年下谷2丁目へ移転したといいます。明治18年当地へ移転しました。
山号 | 法要山 |
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院号 | - |
寺号 | 啓運寺 |
住所 | 荒川区西日暮里3-2-14 |
本尊 | 十界曼荼羅 |
宗派 | 法華宗本門流 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
啓運寺の縁起
啓運寺は、円住院日立聖人が開山となり、元和元年(1644)下谷1丁目に創建、元禄11年下谷2丁目へ移転したといいます。明治18年当地へ移転しました。
御府内寺社備考による啓運寺の縁起
上総国長柄郡鷲巣村長国山鷲山寺末、下谷山下、法要山啓運寺、境内拝領地168坪余
元和元年起立。但地処之儀は、元下谷1丁目罷在候処、元禄11年東叡山御用地ニ付所替被仰付、同2丁目ニ而代地被、下置候。其節拝領地ニ罷成、寺社御奉行松平志摩守様ニ而被仰付候。
開山円住院日立聖人、正保元年6月9日。81歳寂。(御府内寺社備考より)
啓運寺所蔵の文化財
- 木造毘沙門天像(荒川区登録文化財)
- 庚申塔(延宝8年11月5日銘)(荒川区登録文化財)
木造毘沙門天像
啓運寺は、法華宗(本門流)の寺院で、法要山と号す。上野にあったが、明治18年に現在地に移転。毘沙門天は多聞天ともいい、四方を守護する四天王の一つであるが、独立して福徳富貴の神としても信仰されている。当寺の毘沙門天は、台座の裏に「寛政九年(1797)八月吉辰、仏師以東光雲」の墨書銘がある。そのほか、境内には、延宝八年(1680)銘の庚申塔がある。この塔には、「三守庚申三戸伏、妙法、七守庚申三戸滅」の銘文のほか三十六名の施主名が刻まれており、区内唯一の日蓮宗系の庚申塔である。(荒川区教育委員会)
啓運寺の周辺図