鎮護山碩運寺|大正3年に寺内で温泉の営業を開始
碩運寺の概要
曹洞宗寺院の碩運寺は、鎮護山と号します。碩運寺は、榮傳和尚が開山、千田庄兵衛が開基となり、慶長元年(1596)に創建したといいます。大正年間に本所石原町から当地へ移転したといいます。大正3年に寺内で温泉の営業を開始、都電の開通と相まって温泉街として当地区に商店街が形成したことから「寺の湯跡」として知られています。
山号 | 鎮護山 |
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院号 | - |
寺号 | 碩運寺 |
住所 | 荒川区西尾久2-25-21 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 寺の湯跡 |
碩運寺の縁起
碩運寺は、榮傳和尚が開山、千田庄兵衛が開基となり、慶長元年(1596)に創建したといいます。大正年間に本所石原町から当地へ移転したといいます。
東京名所図会による碩運寺の縁起
碩運寺
碩運寺は石原町十七番地に在り。鎮護山と號す。曹洞宗にして駒込大圓寺の末なり。慶長元年の創立にて。開山は榮傳和尚。開基は千田庄兵衛なり。(東京名所図会より)
「本所區史」による碩運寺の縁起
碩運寺
碩運寺は石原町十七番地にある。鎮護山と號し曹洞宗に属し駒込大圓寺の末である。慶長元年の創立にて、開山は榮傳和尚で歿年は寛文十年三月。本尊は正観音で其他堂塔があつたが、享保九年二月廿五日類焼のため諸堂残らず烏有に歸し同十九年正月十七日再建を見た。而して大正八九年頃南足立郡尾久町に移轉した。(「本所區史」より)
碩運寺所蔵の文化財
寺の湯跡
大正2年、飛鳥山下と三の輪の間を結ぶ王子電車(現在の都電)が開通し、翌3年碩運寺に「寺の湯(後の不老閣)」が開業した。 当時の住職が井戸を掘ったところ、ラジウムを含む鉱泉であることが判明し、寺内に温泉を開業したのである。この後、周辺に保生館・清遊館・大河亭・小泉園等の温泉旅館が次々にでき、商店街も形成された。 大正初期の王子電車の開通と「寺の湯」の開業は、尾久がムラからマチへと変貌をとげるにあたって大きな役割を果たしたのである。(荒川区教育委員会)
碩運寺の周辺図