金刀比羅神社|讃岐金刀比羅宮の東京分社
金刀比羅神社の概要
金刀比羅神社は、文京区本郷にある神社で讃岐金刀比羅宮の東京分社です。金刀比羅神社は、高松藩松平氏の私祭祠宇として文政2年(1819)創建、明治21年年金刀比羅宮境外末社と改称し神田区和泉町に遷座、明治26年深川区古市場に遷座したといいます。太平洋戦争により焼失、昭和31年金刀比羅宮東京分社再建用地として元高松藩主松平家より、寛政5年(1793)創建の邸内祠金刀比羅神社の境内地を讃岐本宮に寄進され、再建したといいます。
社号 | 金刀比羅神社 |
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祭神 | 大物主命、崇徳天皇 |
相殿 | - |
境内社 | 水道橋稲荷社 |
住所 | 文京区本郷1-5-11 |
祭日 | 例大祭5月20日 |
備考 | - |
金刀比羅神社の由緒
金刀比羅神社は、高松藩松平氏の私祭祠宇として文政2年(1819)創建、明治21年年金刀比羅宮境外末社と改称し神田区和泉町に遷座、明治26年深川区古市場に遷座したといいます。太平洋戦争により焼失、昭和31年金刀比羅宮東京分社再建用地として元高松藩主松平家より、寛政5年(1793)創建の邸内祠金刀比羅神社の境内地を讃岐本宮に寄進され、再建したといいます。
「本郷區史」による金刀比羅神社の由緒
金刀比羅神社
元町一丁目一番地に在る無格社で、初め金刀比羅宮と稱し小石川なる高松藩松平氏の邸内社であつたが、幕府に乞ふて諸人の参詣を許され、明治四年十一月元町一丁目の松平邸に移祭、四十年十月金刀比羅神社と改稱、大正震災後松平家に依て再興せられ無格社に昇格した。祭神は大物主命、崇徳天皇の二座である。(「本郷區史」より)
東京都神社名鑑による金刀比羅神社の由緒
そのはじめ、私祭祠宇として文政二年(一八一九)創立され、明治十三年公認神社となり、のち崇敬者の希望により、同二十一年金刀比羅宮境外末社と改称し、神田区和泉町に鎮祭されたが、境内地狭隘のため、同二十六年深川区古市場に移転した。大正十二年関東大震災により建物ことごとく焼失したが、御霊代はつつがなく讃岐本宮に祀られ、昭和五年本殿・幣殿・社務所・神楽殿・手水舎・渡廊・社号石・石鳥居・石玉垣等を再建、遷座祭を斎行した。同二十年三月東京大空襲により社殿その他いっさいを焼失したが、幸い御霊代は無事讃岐本宮に仮遷座せられた。(東京都神社名鑑より)
「文京区神社誌」による金刀比羅神社の由緒
そのはじめ私祭祠宇として文政2年(1819)創立され、明治13年公認神社となり、のち崇敬者の希望により、同21年金刀比羅宮境外末社と改称し、神田区和泉町に鎮祭されたが、境内地狭隘のため、同26年深川区古市場に移転した。
大正12年関東大震災により建物ことごとく焼失したが、御霊代はつつがなく讃岐本宮に祀られ、昭和5年本殿・幣殿・社務所・神楽殿・手水舎・渡廊・社号石・石鳥居・石玉垣等を再建、遷座祭を斎行した。
同20年3月東京大空襲により社殿その他いっさいを焼失したが、幸い御霊代は無事讃岐本宮に仮遷座せられた。
金刀比羅宮東京分社再建用地として、昭和31年1月元高松藩主松平家より、寛政5年(1793)創建の邸内祠金刀比羅神社の境内地を讃岐本宮に寄進せられ、昭和32年東京分社復興奉賛会を設立し、昭和39年5月本殿流造・幣殿・拝殿向拝付・透塀を再建し、松平家邸内祠金刀比羅神社を合祀して遷座祭を斎行した。(「文京区神社誌」より)
金刀比羅神社の周辺図
参考資料
- 「本郷區史」
- 東京都神社名鑑
- 「文京区神社誌」