出世稲荷神社|春日局の邸内鎮守
出世稲荷神社の概要
出世稲荷神社は、文京区本郷にある稲荷神社です。出世稲荷神社は、当地付近が春日局の屋敷だった時、邸内鎮守として寛永7年(1630)に創建、春日局が敗軍の将の娘から大奥の権力者へと出世したことから、出世稲荷と称されるようになったといいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 宇迦御魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 文京区本郷1-33-17 |
祭日 | 例大祭5月5日 |
備考 | - |
出世稲荷神社の由緒
出世稲荷神社は、当地付近が春日局の屋敷だった時、邸内鎮守として寛永7年(1630)に創建、春日局が敗軍の将の娘から大奥の権力者へと出世したことから、出世稲荷と称されるようになったといいます。
境内掲示による出世稲荷神社の由緒
「この辺昔、春日局宅地なりし時、鎮守のため勧請なり。春日局・・・出世ありしゆえ当社の神徳を崇め、出世稲荷と崇め奉るなり。」(旧事茗話)
春日局は本名「ふく」父は明智光秀の重臣斉藤内蔵助利三である。戦いに敗れ、逆賊の家族として苦しい生活をした。後、徳川三代将軍家光の乳母となり、江戸城大奥にて大きな力をもつに至った。
このあたりの片側を将軍から拝領し町屋をつくった。「御府内備考」によれば神社の土地は拝領地28坪、外に27坪、小栗猶之丞より借地とある。享保2年焼失したので京都稲荷山の千年杉で御神体を作り祭った。
春日町起源のゆかりのある場所である。(出世稲荷神社境内掲示より)
東京都神社名鑑による出世稲荷神社の由緒
寛永七年(一六三〇)中の鎮座と伝う。(東京都神社名鑑より)
「小石川區史」による出世稲荷神社の由緒
稲荷神社(出世稲荷)
春日町に在り、宇迦御魂命を祀る。その創建は春日局附下男等が、寛永七年、春日町の地を拝領の際、局の命に依つて勸請したといひ傳へる。俗に出世稲荷と言ひ、無格社で、現在の社地は約七十五坪ある。
五月五日を祭日とし、春日町を氏子としてゐる。(「小石川區史」より)
御府内寺社備考による出世稲荷神社の由緒
起立年代不詳、享保二酉年正月廿二日本社神体共焼失仕、其後京都稲荷山千年杉を以彫刻せし由申伝、形像者白髪之老翁束帯ニ而右之手ニ鎌を持候座像丈四寸八分、裏ニ伊藤邦文作ト彫付有之候。(御府内寺社備考より)
出世稲荷神社の周辺図
参考資料
- 東京都神社名鑑
- 「小石川區史」
- 御府内寺社備考