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巣鴨大鳥神社|文京区千石の神社

巣鴨大鳥神社の概要

巣鴨大鳥神社は、文京区千石にある大鳥神社です。巣鴨大鳥神社は、巣鴨村の新左衛門が貞享5年(1687)に稲荷社として創建、当社の旧別当寺は、時の鐘を報じていたといいます。嘉永2年(1849)子育稲荷社と改称、元治元年(1864)には境内社大鳥神社の「酉の市」が始まったといいます。第二次世界大戦で焼失したものの、昭和24年豊島区の武藤某氏が再建したといいます。

巣鴨大鳥神社
巣鴨大鳥神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 保食神
相殿 -
境内社 大鳥神社
住所 文京区千石4-25-15
祭日 例祭4月13日、11月酉の日
備考 -



巣鴨大鳥神社の由緒

巣鴨大鳥神社は、巣鴨村の新左衛門が貞享5年(1687)に稲荷社として創建、当社の旧別当寺は、時の鐘を報じていたといいます。嘉永2年(1849)子育稲荷社と改称、元治元年(1864)には境内社大鳥神社の「酉の市」が始まったといいます。第二次世界大戦で焼失したものの、昭和24年豊島区の武藤某氏が再建したといいます。

新編武蔵風土記稿による巣鴨大鳥神社の由緒

(巣鴨村)稲荷社
貞享年中村民所左衛門と云者永く社地の貢を寄附せしと云は、其以前の鎮座なりし事知らる。
末社。妙正明神。疱瘡守護の神にて、中山法華経寺境内鎮神の寫と云。
鐘楼。鐘銘に寳暦五年七月現住感誠院日通十二辰を報する為に鋳造せる由を鋳す。今に至て然り。
別當霊感院。
稲荷山と號す。法華宗小石川蓮華寺末、開山玄収院日幽、元禄九年起立し享保六年三月十七日寂す、本尊三寳四天王日蓮を安す、日蓮は六老僧日向の作と云。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による巣鴨大鳥神社の由緒

当神社の御創立は遠く徳川氏の初期に属し、大鳥稲荷大明神と称えまつり、当時の別当霊感院は夜明の鐘を響かせし名社として知られ、社殿その他も整備され、上地以前の御境内は一八〇〇余坪を有せりとは古書の証するところである。第二次世界大戦の戦禍にあい、炎上荒廃するに至る。
昭和二十四年豊島区鬼子母神に住める武藤某、ある夜白髪の老翁の夢枕に立ちて人いわく「東方に稲荷大神座す、住する社なし、汝速かに建立せよ」と。彼驚き東方を訪づねること三日、遂に戦災に荒地と化したこの地を発見、私財を投じて稲荷社を建立した。三十一年社務所設造、その後、三十九年本殿を改修、社務所を拡大、境内を整備し、五十六年境内に子育稲荷神社建立、同年御影鳥居を建造した。(東京都神社名鑑より)

「小石川區史」による巣鴨大鳥神社の由緒

稲荷神社
宮下町に在り、祭神は保食命である。俗に子育稲荷とも呼ばれ、又合殿に大鳥大神を祀るので大鳥神社とも言ふ。その由緒は不明であるが、江戸時代には別當靈感院が有り、境内に時の鐘等が有つたが、明治以後神佛分離した。現在の境内は百六十餘坪、祭典は四月十三日及び十一月酉の日である。(「小石川區史」より)

文京区神社誌による巣鴨大鳥神社の由緒

古く貞享五年巣鴨村新左衛門なる者の勧請により巣鴨稲荷社として創祀され、のち元禄九年日蓮宗宗霊感院が別当となり、宝暦五年には時の鐘が造られて明治初年まで十二辰が報ぜられた。嘉永二年当時の霊感院大僧正大願を興し、「慈悲の手の内」なる文書を誌し「子育稲荷大明神」と改称、本殿二間四方拝殿三間四方を建立した。この頃霊験灼かなりと参詣者相継ぎ、社前の通りは繁華して「いなり横丁」また「いなり小路」と呼ばれた。
元治元年には初めて「酉の市」が立ち現在に続いている。上地以前の境内は広く一八〇〇坪を有し、社殿等の結構も整備していた。(文京区神社誌より)


巣鴨大鳥神社の周辺図


参考資料

  • 東京都神社名鑑
  • 文京区神社誌