寂円寺|文京区白山にある浄土真宗系単立寺院

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法輪山寂円寺|文京区白山にある浄土真宗系単立寺院

寂円寺の概要

浄土真宗系単立寺院の寂円寺は、法輪山と号します。寂円寺は、青山御焔硝蔵類家の青山甚三郎(釋祐念)が開基、釋慶念(俗称吉岡氏寛文6年1666年寂)が開山となり三河国坂崎村に創建、正徳寺と号したといいます。寛永12年(1635)神田御弓町へ移転、貞享5年(1688)に当地へ移転したといいます。

寂円寺
寂円寺の概要
山号 法輪山
院号 -
寺号 寂円寺
住所 文京区白山4-37-30
宗派 浄土真宗系単立
葬儀・墓地 寂円寺法輪閣
備考 -



寂円寺の縁起

寂円寺は、青山御焔硝蔵類家の青山甚三郎(釋祐念)が開基、釋慶念(俗称吉岡氏寛文6年1666年寂)が開山となり三河国坂崎村に創建、正徳寺と号したといいます。寛永12年(1635)神田御弓町へ移転、貞享5年(1688)に当地へ移転したといいます。

「小石川區史」による寂円寺の縁起

寂圓寺
性園山寂圓寺。眞宗大谷派、東本願寺末。本尊阿彌陀如来。當寺の開創は寛永十二年で、初め三州額田郡坂崎村にあり、正徳寺と號したのを、寛永十二年江戸神田御弓町に移した。開山は釋慶念(俗稱吉岡氏寛文六年十一月十二日寂)、開基は釋祐念である。
貞享五年神田が御用地となり、現在の原町へ移轉した。文政年中には境内古跡地百四十四坪、古跡添地二千五十二坪を有してゐた。
現本堂は文久元年の建立と云ふ。寺内に幕末の儒者乙骨耐軒、醫家山崎宗圓、同鳳来、洋學者鈴木春山等の墓がある。(「小石川區史」より)

東京名所図会による寂円寺の縁起

寂圓寺
寂圓寺は原町六十番地にあり、性薗山と號す、眞宗大谷派、開山は敬念(寛文六丙午六月十二日寂)といへり、寺門南に面す、門内右に墓門あり、其並び唐銅蓬莱の嗽盤、覆屋あり、左に玄關、庫裡、正面は本堂なり、本堂六間四面、南向、瓦葺、向拝に龍を彫る、本尊阿弥陀如来、立像二尺許、厨子の中に納めあり、連月十六日説教あり。
寺傳に云、寛永十二年大久保彦左衛門知行三州額田郡坂崎村正源寺(正源寺開基は佐藤甚兵衛正源、當寺の開基は青山御焔硝蔵類家青山甚三郎なり)より江戸へ移れり、其時榊原某なる人と同じく江戸へ至る、榊原某は神田御弓町組屋敷中に居住し、當寺も其組に居りしに、貞享年中御用地となり、榊原氏は目白臺に移り、同時に當寺も今の地に移れり、此地は石丸五郎左衛門と云人の寄附也。
又寂圓寺記といへるあり、文化六年、當山第八世の住持雪山が選ぶ所、雅文體にて寺の縁起は記さざるも、此邊地理の變遷を知るに最も便なるものあれば左に抄録すべし。(東京名所図会より)


寂円寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「小石川區史」
  • 東京名所図会