光國山喜運寺|文京区白山にある曹洞宗寺院
喜運寺の概要
曹洞宗寺院の喜運寺は、光國山と号します。喜運寺は、源室氷高大和尚(慶長五年寂)が開山となり、起運寺と号して慶長3年(1598)桜田に創建、神田駿河台・お茶の水への移転を経て明暦大火の後当地へ移転、元禄4年(1691)喜運寺と改めたといいます。
山号 | 光國山 |
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院号 | - |
寺号 | 喜運寺 |
住所 | 文京区白山2-10-3 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
喜運寺の縁起
喜運寺は、源室氷高大和尚(慶長5年1600年寂)が開山となり、起運寺と号して慶長3年(1598)桜田に創建、神田駿河台・お茶の水への移転を経て明暦大火の後当地へ移転、元禄4年(1691)喜運寺と改めたといいます。
「小石川區史」による喜運寺の縁起
喜運寺
光國山喜運寺。曹洞宗、栃木縣長林寺末。本尊釋迦牟尼佛。當寺の開創は慶長元年で、開山は源室氷高大和尚(慶長五年四月廿九日寂)である。當時は起運寺と稱し櫻田御門内にあつたが、慶長九年駿河臺へ引越し、元和年中駿河臺が御用地になつたので、お茶の水上の神田へ移り、明暦三年の大火に類焼し、其後の區割整理に現在の地へ移つた。元禄四年喜運寺と改稱し、文政頃には境内古跡拝領地二千五百四十九坪餘、内門前町屋があつた。現在は境内三百三十八坪、墓地三百坪あり、外に宅地約千坪を有し、境内には所謂『豆腐地蔵尊』を安置してゐる。(「小石川區史」より)
東京名所図会による喜運寺の縁起
喜運寺
(戸崎町)八十二番地にあり。光國山と號す。禅宗曹洞足利長林寺末なり。境内に豆腐地蔵尊あり。
小石川志料に云。住僧の話に。尊像は往古桜田に於て拝領のよし。それより豆腐地蔵と名付り。十三世逸基の時正徳元年に。彼左手を接ぎしと。もとより別の石なれば。石理も合はず。さおれど秘佛なれば他人の拝を許さずと云。豆腐屋の事跡。正敷浮屠氏の嘘誕なれども。傳ふる儘を記せり。(東京名所図会より)
喜運寺の周辺図
参考資料
- 「小石川區史」
- 東京名所図会