薬王山三念寺|御府内八十八ヶ所霊場
三念寺の概要
真言宗豊山派寺院の三念寺は、薬王山遍照院と号します。三念寺は、慶長8年(1603)当地に寺所を拝領して醫王山三念寺と号したといいます。御府内八十八ヶ所霊場34番です。
山号 | 薬王山 |
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院号 | 遍照院 |
寺号 | 三念寺 |
住所 | 文京区本郷2-15-6 |
本尊 | - |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
三念寺の縁起
三念寺は、慶長8年(1603)当地に寺所を拝領して醫王山三念寺と号したといいます。
東京名所図会による三念寺の縁起
三念寺
同(本郷元町)二十八番地にあり、薬王山遍照院と號す、新義真言宗弥勒寺末なり、開山を品隆といふ、現住藤波元榮は其第廿一世に當れり。
略縁起云、文明年中一人の修行者あり、一宇の草堂を結び、遍照院と號す、本尊は慈覺大師の真作なり、大日如来安置し恭敬す、爰に當院の薬師如来は往古恵心僧都母公病気の為に彫刻し給ふ霊像なり、上足の弟子慶裕阿闍梨此尊像を奉事す年月漸く轉じ、遠州鳳来寺にうつり、慶長年中武蔵安静の時武家某氏尊像ならびに傳記を傳来し此所に安置す、即ち堂舎を建て醫王山三念寺と號す。
寺門南に面す、「薬王山」三字の額を扁す、門内右に土蔵造りの本堂あり、本尊大日如来、阿弥陀如来、地蔵菩薩を左右厨子の裏には弘法興教二大師を崇敬す、堂内右の一隅に閻魔王あり、薬師堂は本堂に對し、薬師堂を安置す、又當寺は府内大師第三十四番の札所あり。(東京名所図会より)
「本郷區史」による三念寺の縁起
三念寺
元町二丁目に在り、本所弥勒寺末、薬王山遍照院と號す、「江砂餘礫」には當寺古く土手四番町に在り、元禄の比元町へ移さるとあるが、文政書上には慶長八年當地拝領と記して居る。松田迂仙(高松藩儒名は順之字は多甫嘉永五年歿七十)狼渓平震(書家龍岡と號す寶暦十年歿)宇佐美黙斎(茶人、名は三蔵、昌益、昌篤、止々庵と號す板倉家の茶道となり文化十一年歿す)紀ノ定丸(幕臣通稱吉見儀助狂歌に名あり天保十二年歿、八十三)の墓があつた。(「本郷區史」より)
三念寺の周辺図
参考資料
- 「本郷區史」
- 東京名所図会