平松山教元寺|高田五太夫教元が創建
教元寺の概要
真宗大谷派寺院の教元寺は、平松山と号します。教元寺は、大垣城主戸田采女正の家来高田五太夫教元が江戸平松町に創建、寛永年間(1624-1645)に当地へ移転したといいます。
山号 | 平松山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 教元寺 |
住所 | 文京区本駒込2-19-2 |
宗派 | 真宗大谷派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
教元寺の縁起
教元寺は、大垣城主戸田采女正の家来高田五太夫教元が江戸平松町に創建、寛永年間(1624-1645)に当地へ移転したといいます。
「本郷區史」による教元寺の縁起
駒込富士前町に在り、大谷派本願寺末、平松山と稱す、初め濃州大垣城主戸田采女正家来高田五太夫教元の江戸平松町に建立する所といふ。寛永中當地に移つた。(「本郷區史」より)
東京名所図会による教元寺の縁起
教元寺
同(駒込富士前町)七十一番地にあり、平松山と號す、真宗大谷派なり。(東京名所図会より)
教元寺の周辺図
参考資料
- 「本郷區史」
- 東京名所図会