地久山天栄寺|多門主膳重吉開山
天栄寺の概要
浄土宗寺院の天栄寺は、地久山仙壽院と号します。天栄寺は、僧天輪(俗名多門主膳重吉、大阪陣の武功あり)が開山となり元和3年(1617)本郷菊坂に創建、万冶3年(1660)当地に移転したといいます。
山号 | 地久山 |
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院号 | 仙壽院 |
寺号 | 天栄寺 |
住所 | 文京区本駒込1-6-16 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
天栄寺の縁起
天栄寺は、僧天輪(俗名多門主膳重吉、大阪陣の武功あり)が開山となり元和3年(1617)本郷菊坂に創建、万冶3年(1660)当地に移転したといいます。
「本郷區史」による天栄寺の縁起
天榮寺
駒込淺嘉町に在り、智恩院末、地久山仙壽院と號す、元和三年丸山菊坂臺に起立、萬治三年現地に移つた。初名は天英寺、僧天輪を開山とする。天輪俗名は多門主膳重吉、家康に仕へて大阪陣に功あり、其後淺草壽松院三世天英和尚に随て剃髪し當寺を創した。昔時當寺境内に巨木のさいかち樹あり、樹下白鳥社を祀つた。元和の頃より里人此に来つて青物市を碑瀧駒込市場の濫觴をなしたといふ。佐藤多嶺(儒者名は惟孝字は子友新助と稱す。別號は敬庵、寶暦五年歿)の墓がある。(「本郷區史」より)
東京名所図会による天栄寺の縁起
天榮寺
同(駒込浅嘉町)四十九番地にあり、地久山法蔵院と號す、浄土宗京都知恩院末なり、初の名は天英寺、僧天輪(俗名多門主膳重吉、大阪陣の武功あり)の開山なり、元和三年本郷菊坂に創し、萬冶三年今の地に移る。(東京名所図会より)
天栄寺所蔵の文化財
- 駒込土物店跡(文京区登録史跡)
天栄寺の周辺図
参考資料
- 「本郷區史」
- 東京名所図会