光明山智願寺|文京区小日向にある浄土宗寺院
智願寺の概要
浄土宗寺院の智願寺は、光明山と号します。智願寺は、運正院華林周藤大禪定尼及び智香院願譽誓閑比丘尼が開基となり、正蓮社法譽上人覺玄和尚が開山となり、寛永11年(1634)牛込築土町に創建、寛文年間当地へ移転したといいます。
山号 | 光明山 |
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院号 | - |
寺号 | 智願寺 |
住所 | 文京区小日向2-18-3 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
智願寺の縁起
智願寺は、運正院華林周藤大禪定尼及び智香院願譽誓閑比丘尼が開基となり、正蓮社法譽上人覺玄和尚が開山となり、寛永11年(1634)牛込築土町に創建、寛文年間当地へ移転したといいます。
「小石川區史」による智願寺の縁起
金光妙山運正院智願寺。浄土宗鎮西派、知恩院末。本尊阿彌陀如来。當寺の開創は寛永十一年で、開山は正蓮社法譽覺玄和尚(寛文元年六月十六日寂)、開基は運正院華林周藤大禪定尼及び智香院願譽誓閑比丘尼で、始めは牛込津久土にあつたが、寛文年中當所へ引移つた。その際の檀越は石野新蔵廣重、吉田與助正定の兩人で、共に老母菩提のために奉仕したといはれる。文政時代には境内古跡拝領地七百六十坪、内門前町屋があり、別に年貢地三十八坪を有してゐた。現本堂は大正十年の改築で、寺寶には元禄年中将軍綱吉の息女鶴姫寄贈と傳ふる辨財天像一軸がある。(「小石川區史」より)
東京名所図会による智願寺の縁起
智願寺
百三番地にあり、光明山と號す、浄土宗知恩院末、開山正蓮社法譽上人、寛永十一甲戌年起立、もと牛込築土にあり、其後當所に移れりといへり、境内に子育日限地蔵尊安置、唐銅露佛、法衣檜笠錫杖行脚の態なり、寛政二庚戌二月、金光明山智願寺第七世現住止譽代建立と鋳しあり。(東京名所図会より)
智願寺の周辺図
参考資料
- 「小石川區史」
- 東京名所図会