南栄山清光院|文京区小日向にある臨済宗円覚寺派寺院
清光院の概要
臨済宗円覚寺派寺院の清光院は、南栄山と号します。清光院は、小栗氏平助重妻照姫(法名天室妙照禅定尼)の菩提を弔うため、俊禅師が開祖となり鎌倉永安寺境内に文明18年(1486)南榮庵と号して創建したといいます。寛永年間に、吉田典栄頭一庵娘(法名清光院月桂宗秋大姉、寛永24年卒)が中興開基となり、心空禅師が南栄山清光院と号して中興開山したといいます。
山号 | 南栄山 |
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院号 | 清光院 |
寺号 | - |
住所 | 文京区小日向2-17-2 |
宗派 | 臨済宗円覚寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
清光院の縁起
清光院は、小栗氏平助重妻照姫(法名天室妙照禅定尼)の菩提を弔うため、俊禅師が開祖となり鎌倉永安寺境内に文明18年(1486)南榮庵と号して創建したといいます。寛永年間に、吉田典栄頭一庵娘(法名清光院月桂宗秋大姉、寛永24年卒)が中興開基となり、心空禅師が南栄山清光院と号して中興開山したといいます。
「小石川區史」による清光院の縁起
南榮山清光院。臨済宗圓覺寺派、埼玉縣久喜町甘棠寺末。本尊釋迦如来。當寺は文明十八年の開創で、小栗重弘(法名榮俊禪師)が母なる天室妙照禪定尼菩提の爲め、鎌倉鶴岡八幡宮邊の永安寺境内に一庵を建立し、南榮庵と號したのがその起原である。寛永年中心空禪師が四谷仲町に移轉し、時の開基檀越吉田典薬頭の法名清光院に因んで、以後は南榮山清光院と呼び、寛文元年現在の地に移つた。文政には境内古跡年貢地三百餘坪、現本堂は明治四十五年の建立である。(「小石川區史」より)
御府内寺社備考による清光院の縁起
久喜甘楽院末 小日向八幡坂
南栄山清光院、境内古跡年貢地三百坪余内門前町屋有之
當寺起立之儀應永二子年八月小栗氏平助重妻照姫法名天室妙照禅定尼死去ニ付文明十八年ニ鎌倉鶴岡八幡辺永安寺境内ニ而右照姫為菩提一庵建立助重二男重弘十二才ニ而右家号栄俊禅師當寺の開祖与なる。寛永年中鎌倉鶴岡八幡辺四谷仲殿町江引移申候其頃名南栄庵与申候を其後年代不知中興開基功徳主吉田典栄頭一庵娘法名清光院与唱候ニ付寺号ニ此用申候庵号を山号ニ此用候申傳候、仲殿町に引移申中興開山心空禅師道徳之殿開祖開闢之中興ニ御座候
開山榮俊禅師卒年月不知
中興開基清光院月桂宗秋大姉寛永廿四丑年七月十一日卒
中興開山心空禅師寛文二寅年四月九日寂
再中興二世文明禅師元禄四未年七月廿五日寂(御府内寺社備考より)
清光院の周辺図
参考資料
- 「小石川區史」
- 御府内寺社備考