興龍山西善寺|文京区向丘にある浄土真宗系単立寺院
西善寺の概要
浄土真宗系単立寺院の西善寺は、興龍山と号します。西善寺は、了顯法師(俗姓安藤蔵人)が開山となり、元和2年(1616)本郷金助町に創建、寛文2年(1662)当地へ移転したといいます。
山号 | 興龍山 |
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院号 | |
寺号 | 西善寺 |
住所 | 文京区向丘1-13-8 |
本尊 | - |
宗派 | 浄土真宗系単立 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
西善寺の縁起
西善寺は、了顯法師(俗姓安藤蔵人)が開山となり、元和2年(1616)本郷金助町に創建、寛文2年(1662)当地へ移転したといいます。
「本郷區史」による西善寺の縁起
駒込追分町に在り、大谷派本願寺末、興隆山と號す、元和二年僧了願(俗名安藤蔵人明暦年中寂)の本郷金助町に開く處で、寛文二年現地に移つた。本堂安置の聖徳太子像(長二尺二寸)は親鸞上人の作といふ、寺中に近藤重蔵守重の供養塔がある。(「本郷區史」より)
東京名所図会による西善寺の縁起
西善寺。
同(本郷追分町)七十六番地にあり、興龍山と號す、真宗大谷派にして、僧了願の開基なり、元和二年本郷金助町に創し、寛文二年今の地に移る、親鸞作と稱する聖徳太子像あり。
新編江戸志(四)に寺傳云、開山了顯法師俗姓安藤蔵人といふ、遠州の産なり、慶長六年二十二歳にして東本願寺教如上人の弟子となり、元和二年當寺起立、東條院宜如上人より寺號を賜り、興隆山西善寺と號す。(東京名所図会より)
西善寺の周辺図
参考資料
- 「本郷區史」
- 東京名所図会