涅槃山西教寺|常陸國那珂郡松の濱に創建
西教寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の西教寺は、涅槃山究竟院と号します。西教寺は、僧慈専(俗称村松左門行武)が開基となり常陸國那珂郡松の濱に創建、寛永7年(1630)了賢が湯島へ移転し中興、貞享5年(1688)当地へ移転したといいます。西教寺の山門は、酒井雅楽頭(井伊家と並ぶ大老の家柄)の屋敷から明治7年(1874)移築されたもので区文化財に指定されています。
山号 | 涅槃山 |
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院号 | 究竟院 |
寺号 | 西教寺 |
住所 | 文京区向丘2-1-10 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
西教寺の縁起
西教寺は、僧慈専(俗称村松左門行武)が開基となり常陸國那珂郡松の濱に創建、寛永7年(1630)了賢が湯島へ移転し中興、貞享5年(1688)当地へ移転したといいます。
「本郷區史」による西教寺の縁起
駒込追分町に在り、本派本願寺末、涅槃山究竟院と稱す、初め開山慈専(俗称村松左門行武正徳三年寂)の常州那珂郡村松の濱に開く處であるが、寛永七年中興了賢の時之を江戸湯島金助町に移し、貞享五年更に現地に轉じた。(「本郷區史」より)
東京名所図会による西教寺の縁起
西教寺
同(本郷追分町)四十二番地にあり、涅槃山究竟院と號す、真宗本願寺派なり、僧慈専(正應三年寂)開基、初め常陸國那珂郡松の濱にあり、後り湯島に移り、貞享五年再び轉じて今の地に移るといふ。(御府内寺社備考より)
西教寺所蔵の文化財
- 西教寺表門一棟朱殿門)(文京区指定有形文化財)
西教寺表門一棟
徳川家の重臣、酒井雅楽頭(井伊家と並ぶ大老の家柄)の屋敷から明治7年(1874)移築された。
複雑な寸法体系を持ち、近世初頭の標準からはずれる独自の特色を多く持ち、構成に独特な品格をもたらしている。
大正12年の関東大震災に被害を受け、重量軽減のため瓦葺から銅板棒葺に改めるなど、一部修理が行われた。(文京区教育委員会掲示より)
西教寺の周辺図
参考資料
- 「本郷區史」
- 東京名所図会