一向山専西寺|文京区向丘にある真宗大谷派寺院
専西寺の概要
真宗大谷派寺院の専西寺は、一向山富明院と号します。専西寺は、釋正入(明暦4年1656年寂)が開山、青木勘次郎(慶安4年1651年歿)が開基となり、寛永3年(1626)湯島に開山、天和大火(1683)後に一旦取り潰しとなったものの、元禄5年(1692)寺院として認められ駒込に再興、享保3年(1718)当地へ移転したといいます。
山号 | 一向山 |
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院号 | 富明院 |
寺号 | 専西寺 |
住所 | 文京区向丘2-28-9 |
宗派 | 真宗大谷派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
専西寺の縁起
専西寺は、釋正入(明暦4年1656年寂)が開山、青木勘次郎(慶安4年1651年歿)が開基となり、寛永3年(1626)湯島に開山、天和大火(1683)後に一旦取り潰しとなったものの、元禄5年(1692)寺院として認められ駒込に再興、享保3年(1718)当地へ移転したといいます。
「本郷區史」による専西寺の縁起
駒込蓬莱町に在り、大谷派本願寺末、開山釋正入(明暦四年寂)開基青木勘次郎(慶安四年歿)の寛永三年湯島三丁目に起立する處であるが、天和大火後新地の故を以て寺號取潰しとなり、代々木永春院に移轉、元禄五年嚴有院十三回忌法要に際し古跡寺院として寺號を許され、専西寺を駒込に樹てた。享保三年類焼後其地御鷹部屋となつたので現地に移転した。開基青木勘次郎俊定は秀忠、家光に仕えて代官を勤め武蔵多摩郡に於て采地二百石を領せし者である(寛政諸家譜)。(「本郷區史」より)
東京名所図会による専西寺の縁起
専西寺
同(駒込蓬莱町)三十二番地にあり、一向山と號す、真宗京都大谷派なり、僧正入を開山とす、寛永三年創立。
新編江戸志(四)に云、開山正入は洛陽の人なり、本願寺東泰寺院主に仕へて江戸に下り、寛永三丙寅年神田湯島にて當寺を起立、明暦四戊戌年四月九日寂す。貞享年中今の地へ移る由寺傳なり。(東京名所図会より)
専西寺の周辺図
参考資料
- 「本郷區史」
- 東京名所図会