妙光山興善寺|文京区西片にある日蓮宗寺院
興善寺の概要
日蓮宗寺院の興善寺は、妙光山と号します。興善寺は、正行院日圓聖人(正保5年1648年寂)が開山、心覚院妙見大姉(寛永14年1637年寂)が開基となり、寛永元年(1624)創建したといいます。心覚院妙見大姉は水戸藩徳川頼房の息女で、心覚院妙見大姉の葬儀より水戸家の祈願所となっていたといいます。
山号 | 妙光山 |
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院号 | - |
寺号 | 興善寺 |
住所 | 文京区西片1-15-6 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | 興善寺会館 |
備考 | 水戸藩徳川家の祈願所 |
興善寺の縁起
興善寺は、正行院日圓聖人(正保5年1648年寂)が開山、心覚院妙見大姉(寛永14年1637年寂)が開基となり、寛永元年(1624)創建したといいます。心覚院妙見大姉は水戸藩徳川頼房の息女で、心覚院妙見大姉の葬儀より水戸家の祈願所となっていたといいます。
「本郷區史」による興善寺の縁起
本郷田町に在り身延久遠寺末、寛永元年水戸賴房の祈願所として起立し、賴房の息心覺院(寛永十四年歿)を開基とし僧日圓(正保五年寂)を開山とする。(「本郷區史」より)
東京名所図会による興善寺の縁起
興善寺
興善寺は(本郷)田町十五番地にあり。妙光山と號し、日蓮宗甲州大野本遠寺末なり。本尊十界曼荼羅。開祖は正行院日圓(人偏に圓)上人にて寛永元年の創立に係る。甃石を進めば右側に霊夢高祖大菩薩安置と刻せる五尺餘の石標ありて、門扉は鋳鐵製にて井桁に橘を表せり。門杭は花崗石にて、右柱に霊夢高祖安置、左柱に妙光山興善寺。其の裏面は明治三十二年五月吉日造之廿五世日孝代檀信両施主中とあり。門を入れば右側に一柳樹あり。其下に一碑を建て俳句を刻す。左側に石佛を安置し、其傍に二株の柘榴樹ありて。丈一尺五寸餘の淨行菩薩の石像を安置す。洗滌の餘光澤あり。此に並びて一個の嗽石盤あり。奉献妙光山十八世日順代文化十癸酉年五月と刻す。傍は水行場あり。本堂の階下左右に鐵製の水盤あり。た組天保十一庚子年四月と刻す。本堂は間口六間奥行五間半、素木造りにて瓦葺とす。奥院は間口四間奥行五間の土蔵にて、高祖の像を安置す。本堂の表面外部に霊夢と題せる額を掲く江山為實書とあり。中部には高祖旭日を拝する画額文化辛酉年暁雲斎と署す。其の他數額を連ぬ。又堂内奥には霊夢殿の額を掲く阿部正弘の書する所なり。毎日午前八時より九時まで午後四時より五時まで當寺に於て法楽加持をなせり。(東京名所図会より)
御府内寺社備考による興善寺の縁起
甲斐国本遠寺末 小石川不唱小名
妙光山興善寺、境内古跡拝領地411坪7合5勺
起立之寛永元甲子歳始て、水戸御先祖頼房様御建立御祈願所ニ而当時も相勤申候。
開山正行院日圓聖人正保5年戌子正月25日寂。
開基心覚院妙見大姉寛永14丁丑年6月18日寂す。水府頼房様御息女ニテ御送葬有之并御墓所御座候。
本堂。本尊宗法之通諸堂安置。
日蓮大菩薩木坐像。右は当寺開山正行院日圓名判并寛永七午歳年号台座之裏に有之。
鬼形鬼子母神。木立像丈五寸運慶作。水府様奥向より御納。
番神堂。三十番神、各丈三寸五分。随神、各丈二寸六分。
水府公より拝領御座敷。(御府内寺社備考より)
興善寺の周辺図
参考資料
- 「本郷區史」
- 東京名所図会
- 御府内寺社備考