長清山善心寺|文京区大塚にある法華宗陣門流寺院
善心寺の概要
法華宗陣門流寺院の善心寺は、長清山守慶院と号します。善心寺の創建年代は不詳ですが、守慶院日榮大徳(寛文2年1662年卒)が開山、大河内善兵衛(善心院日浄居士、寛永17年1640年卒)が開基となり麻布に創建、延宝年間(1673-1681)に当地へ移転したといいます。
山号 | 長清山 |
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院号 | 守慶院 |
寺号 | 善心寺 |
住所 | 文京区大塚5-2-7 |
宗派 | 法華宗陣門流 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
善心寺の縁起
善心寺の創建年代は不詳ですが、守慶院日榮大徳(寛文2年1662年卒)が開山、大河内善兵衛(善心院日浄居士、寛永17年1640年卒)が開基となり麻布に創建、延宝年間(1673-1681)に当地へ移転したといいます。
「小石川區史」による善心寺の縁起
長清山守慶院善心寺。法華宗、京都本禪寺末。本尊は十界勧請曼荼羅である。當寺の開創年代は明らかでないが、寛文年中には麻布北日ケ窪に存し、開山は守慶院日榮大徳(寛文三年五月廿九日寂)、開基は大河内善兵衛である。延寶六年大久保八郎左衛門の寄附により、現在の地に移轉した。文政時代には境内除地七百七十坪、他に買添年貢地七百七十餘坪を有した。現本堂は嘉永三年の建立である。(「小石川區史」より)
東京名所図会による善心寺の縁起
善心寺
善心寺は同町十番地に在り。長清山と號す法華宗にして京都本仁寺の末なり往昔は麻布日窪に在りしが延寶六年當所に移れりといふ。(東京名所図会より)
御府内寺社備考による善心寺の縁起
京都本傳寺末 小石川大塚上町
長清山守慶院善心寺、境内除地七百七十坪買添年貢地七百七十四坪
起立年代不知申候麻布ニ在し候処延宝年中当処江引移申候
開山守慶院日榮大徳寛文二壬寅年正月廿九日卒
開基善心院日浄居士寛永十七庚辰年六月廿四日卒俗名大河内善兵衛
本堂。本尊宗法之通、鬼子母神、十羅刹女、各木坐像。日蓮上人、開山之像、各木坐像。(御府内寺社備考より)
善心寺の周辺図
参考資料
- 「小石川區史」
- 東京名所図会