船堀稲荷神社|当地を開拓した七戸の家が稲荷大神を勧請
船堀稲荷神社の概要
船堀稲荷神社は、江戸川区船堀にある稲荷神社です。船堀稲荷神社は、当地を開拓した七戸の家が元禄4年(1691)に稲荷大神を勧請して創建、旧船堀村西組の鎮守だったといいます。明治7年稲荷神社と改め、村社となっていたといい、荒川放水路開削のため、大正4年に西船堀422地から当地へ遷座したといいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 豊受姫命 |
相殿 | - |
境内社 | 水神社、根乃権現神社 |
住所 | 江戸川区船堀1-1-5 |
備考 | - |
船堀稲荷神社の由緒
船堀稲荷神社は、当地を開拓した七戸の家が元禄4年(1691)に稲荷大神を勧請して創建、旧船堀村西組の鎮守だったといいます。明治7年稲荷神社と改め、村社となっていたといい、荒川放水路開削のため、大正4年に西船堀422地から当地へ遷座したといいます。
「江戸川区史」による船堀稲荷神社の由緒
稲荷神社(船堀一丁目一番五号)
このあたりは寛永の末頃から人が住むようになったといわれ、この土地を開いた七戸の人たちが、元禄四年(一六九一)に稲荷大明神を勧請して五穀豊饒を祈願したのに始まるという。祭神は豊受姫命、旧船堀村西組の鎮守で東小松川の宝珠院が別当であった。明治七年に稲荷神社と称し村社となった。もとは西方の四三二番地にあったが、荒川の開さくにより大正四年現在地に遷座した。境内に水神社の小社と根乃権現神社の小祠がある。(「江戸川区史」より)
東京都神社名鑑による船堀稲荷神社の由緒
船堀の里は、江戸幕府のはじめのころは、一面の葦原であったが、寛永(一六二四-四四)の末ころようやく人住みはじめ、元禄(一六八八-一七〇四)のはじめ、七戸の家、土地を開き、同四年産土の神として稲荷大神を勧請し、五穀豊穣を祈願した。当社の創立である。明治初年までは東小松川宝珠院持にて、維新後稲荷神社となる。もと西船堀村四百二十二番地にあったが、大正のはじめ荒川放水路開鑿のため、現在の地に大正二年無償換地を内務省より受け、同四年遷宮鎮座したものである。(東京都神社名鑑より)
船堀稲荷神社の周辺図