上一色天祖神社|旧上一色村の鎮
上一色天祖神社の概要
上一色天祖神社は、江戸川区西小岩にある天祖神社です。上一色天祖神社の創建年代は不詳ですが、神明鹿島香取合社と称し、旧上一色村の鎮守であったといいます。
社号 | 天祖神社 |
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祭神 | 天照大神、経津主命、武甕槌命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 江戸川区西小岩2-2-8 |
備考 | 新小岩香取神社が兼務 |
上一色天祖神社の由緒
上一色天祖神社の創建年代は不詳ですが、神明鹿島香取合社と称し、旧上一色村の鎮守であったといいます。
江戸川区教育委員会掲示による上一色天祖神社の由緒
旧上一色村の鎮守で、もとは神明社と称しました。祭神は天照大神、経津主命、武甕槌命を祀っています。創建年代は不詳です。 この神社では昔、盛大な裸祭りが行われていました。天保年間(1830-1843)江戸に疫病が流行した時、病気退散のため始めたと言われています。その様子を伝える板絵額が神社内に奉納されています。(江戸川区教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による上一色天祖神社の由緒
(上一色村)神明鹿島香取合社
村の鎮守とす。正蔵院の持。寛永16年再造の棟札あり。(新編武蔵風土記稿より)
「江戸川区史」による上一色天祖神社の由緒
天祖神社(西小岩二丁目二番八号)
旧上一色村の鎮守で、もとは神明社と称し天照皇大御神、経津主命、武甕槌命をまつり創建年代は不詳。天保の頃疫病が流行したとき、病気退散のため村民の裸詣りが行われてその風習が残り、画人歌川国重が裸詣りの絵を奉納した。また明治維新にあたり勝海舟が国家安穏五穀豊饒を祈願して社号額を書いて奉納している。(「江戸川区史」より)
「東京都神社名鑑」による上一色天祖神社の由緒
創立年代不詳。明治時代までは疫病退散のため村人裸詣と称し、神前に裸にて詣でる。画人歌川国重神前に絵図を奉る。天保七年(一八三六)の飢饉には村民あげて国家安穏・五穀豊餞の祈祷をなす。明治維新のおり、勝海舟自ら祈願をして社号を揮亳する。上一色天祖神社にて「境内や二月の落葉掃き寄せに」(鳴瀬)の句がある。例年二月節分には氏子総代道ケ嶋香取神社に奉幣する。毎年正月の初詰りには亀井和泉守丸字切の矢を多く授与して境内がたいへん賑わう。(「東京都神社名鑑」より)
上一色天祖神社所蔵の文化財
- 板絵額(江戸川区登録文化財)
板絵額
神社拝殿の中に八枚掲げられています。「裸参り図」は2枚あり、1枚は歌川国得筆、もう1枚の作者は不明ですが、どちらも行事の様子をよく伝えています。そのほか「楠公父子の図」(勝川春樹筆)、「伊勢参り図」、「加藤清正朝鮮の役の図」(文政3年奉納)、「行旅の図」(国得筆)、「天照大神図」、「兵士等伊勢参り図」(葛飾北俊筆・明治28年)があります。通常は公開されていませんが、例祭日(10月15日)など拝殿が開く日に拝観できます。(江戸川区教育委員会掲示より)
上一色天祖神社の周辺図