宇田川家長屋門|二之江村役人を務めていた宇田川家の長屋門
宇田川家長屋門の概要
宇田川家長屋門は、江戸川区江戸川にある名所旧跡です。宇田川家長屋門は、江戸時代に当地(二之江村)の役人を務めていた宇田川家の長屋門で、江戸時代後期の建築と推定されています。江戸川区文化財に指定されています。
名称 | 宇田川家長屋門 |
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住所 | 江戸川区江戸川5-4 |
みどころ | 宇田川家長屋門、行徳道石造道標 |
備考 | 区指定文化財、区登録文化財 |
宇田川家長屋門について
宇田川家長屋門は、江戸時代に当地(二之江村)の役人を務めていた宇田川家の長屋門で、江戸時代後期の建築と推定されています。江戸川区文化財に指定されています。
江戸川区教育委員会掲示による宇田川家長屋門について
江戸時代の村では、建物にもさまざまな制限が設けられており、門構えを許された家も限られていました。長屋門は外観が立派なことと、両側を物置に利用できて便利なので、特に好まれました。
宇田川家は江戸時代に二之江村の村役人をつとめていました。この門は、江戸時代後期に建てられたと推定されています。茅葺きで、武者窓のあるのが特徴です。(江戸川区教育委員会掲示より)
江戸川区教育委員会掲示による二之江の行徳道石造道標について
宇田川家長屋門の前にあります。高さ六十七センチ、周長一五二センチ、丸い自然石で正面には「是ヨリ左リ行徳道」、左面には「田中孫右衛門」とあります。もとはすぐそばの突留橋にありました。(江戸川区教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による宇田川家について
舊家者善衛門
宇田川氏なり、家譜を閲に上杉氏の庶流にして、先祖善左衛門定友は、伊奈備前守忠次に仕へし宇田川喜兵衛定次の弟なり、定次の祖父親定は、扇谷の上杉持朝の子朝昌の庶子なりしか、始は出家して東永房と號し、後還俗宇田川郷右衛門と稱し、武州品川に住す、是氏を宇田川と改めし始なり、後年圖書亮と稱し、天文十八年五月廿二日六十一歳にて死す、其子を喜兵衛定氏と云、天文二年品川にて生れ、弘治元年本郡小松村に移り、慶長元年小松川村内海表蘆原三千石の地を開墾して宇喜新田と號す、其功に依て上田一町五段を賜ふ、元和六年六月二十五日死し、嚴池院華譽法蓮と號す、定次定友共に此定氏の子なり、定次は後年伊奈氏の家人となり、曾孫郷右衛門定清の時寛政四年伊奈氏斷絶せしかは浪士となり、其後男子の繼へきものなかりしゆへ、定清の孫女家の系圖と伊奈備前守忠次及半十郎忠治の書状を善左衛門が家に授與すと云、又定氏か創建せし小松川法蓮寺の記にも、宇田川の家譜をやや異なる説あれと、姑く家傳のままを録せり、(新編武蔵風土記稿より)
宇田川家長屋門の周辺図