海潮山梵音寺|葛西大師まいり23番
梵音寺の概要
曹洞宗寺院の梵音寺は、海潮山と号します。慈覚大師が唐から帰朝の際に大時化に遭って当地へ漂着、承和14年(847)創建したといわれています。その後栄室寿盛(寛永3年1626年寂)が中興開山したといいます。葛西大師まいり23番です。
山号 | 海潮山 |
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院号 | - |
寺号 | 梵音寺 |
住所 | 江戸川区東葛西2-28-16 |
本尊 | 観世音菩薩像 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 葛西大師まいり23番 |
梵音寺の縁起
梵音寺は、慈覚大師が唐から帰朝の際に大時化に遭って当地へ漂着、承和14年(847)創建したといわれています。その後栄室寿盛(寛永3年1626年寂)が中興開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による梵音寺の縁起
梵音寺
禅宗曹洞派下総国葛飾郡金杉村(下谷村)廣徳寺末、海潮山と号す。承和14年慈覚大師唐の宣宗大中年中に入唐し、帰朝の時此浦にて難風に逢ひ、この処へ漂着し、其頃大師当寺を建立ありしと縁起に見ゆ。中興開山栄室寿盛、寛永3年4月6日寂。本尊正観音長3尺。この像は往昔難風に逢し時、観音空中に現して、其難を救ひ賜ひしにより、其姿を直に衣の袖に写したち。其図を大師自ら彫刻せしものなりと云。
牛頭天王稲荷海上神合社。海上神は、牡蠣を祀りしものと云縁起あれどもとより浮言のみにてたしかならざれば略せり。
弁天社(新編武蔵風土記稿より)
江戸川区教育委員会掲示による梵音寺の縁起
曹洞宗で海潮山と号し、本尊は観世音菩薩です。承和14年(847)慈覚大師の創立といわれ、中興開山は栄室寿盛で寛永3年(1626)に入寂しました。
縁起によると、慈覚大師が唐から釈尊の正法を伝え受けて帰朝の際、大時化にあい難破しそうになりましたが、観世音菩薩の光明が輝いて風は止み、この地に無事上陸できました。
そこで、大師は尊像を栴檀に刻み堂宇を建て、本尊として祀ったのがこの寺の始まりと言われています。(江戸川区教育委員会掲示より)
「江戸川区の文化財」による梵音寺の縁起
梵音寺は海潮山と号する曹洞宗の古いお寺で、当寺の縁起によると、承和14年(847)慈覚大師が唐から帰朝する時、難風起り来って危うかったところ観世音菩薩に救われ、この地(袖しが浦)に上陸することが出来た。そとでここに一宇を建て観世音菩薩をまつったのがこの寺の始まりだという。また、その時海上より竜燈がとの寺の境内にある老松へ上ったので、この松を「竜燈の松」と名づけたという。この寺伝の真偽はともかくとして、この長島村は「長島の湊」として早くから開けたところであり、また同寺境内からは室町時代末期の宝篋印塔の破片などがみつかったととろからみてもこの寺の創立は相当古いものと思われる。
竜頭の松(竜燈の松)
樹齢四・五百年といわれる名木であったが、昭和42年の夏ごろ、老衰して枯死してしまった。木の姿が竜の頭に似ているので名づけられたともいうが、今は太い根がその昔をしのばせている。(「江戸川区の文化財」より)
梵音寺所蔵の文化財
- 板碑(江戸川区指定有形文化財)
- 葛西大師まいり(江戸川区無形民俗文化財)
板碑
古くから境内のお堂の中に納められ、お地蔵様と一緒に祀られてきました。製作は文保元年(1317)6月で、この地域の鎌倉時代のようすを知る上で貴重な歴史資料です。(江戸川区教育委員会掲示より)
梵音寺の周辺図