医王山昇覚寺|葛西大師まいり7番、15番
昇覚寺の概要
真言宗豊山派寺院の昇覚寺は、医王山応心院と号します。僧邵値(寛文12年1672年寂)が開山となり創建したといいます。当寺には、鐘楼・市川松老墓誌銘等、多くの文化財を所蔵しています。葛西大師まいり7番、15番です。
山号 | 医王山 |
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院号 | 応心院 |
寺号 | 昇覚寺 |
住所 | 江戸川区東葛西7-23-17 |
本尊 | 木造阿弥陀如来立像 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 葛西大師まいり7番、15番 |
昇覚寺の縁起
昇覚寺は、僧邵値(寛文12年1672年寂)が開山となり創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による昇覚寺の縁起
昇覚寺
新義真言宗、紀伊国高野山無量寿院末。本寺は古義なれど当寺は新義なり。無量寿山遍照智院と号す。開山邵値、寛文12年3月8日化す。本尊阿弥陀、長1尺8寸、立像にて行基の作なり。
大黒天弁天毘沙門天合社。
鐘楼、天明5年再鋳の鐘を掛。(新編武蔵風土記稿より)
江戸川区教育委員会掲示による昇覚寺の縁起
昇覚寺
真言宗豊山派で無量寿山照智院と号します。本尊は木造阿弥陀如来立像で名僧行基の作と伝えられています。(江戸川区教育委員会掲示より)
「江戸川区の文化財」による昇覚寺の縁起
真言自宅無量寿山遍照智院と号し、寛永15年(1638)邵値阿闍梨によって開山せられた。本尊は阿弥陀如来で名僧行基の作と伝えられている。この寺では毎月六のつく日の縁日に「ボロ市」が開かれている。
鐘楼
入母屋造りの二階建で、下見板をささら子で押さえた袴腰付鐘楼である。建築年代および作者は共に不明だが梵鐘の年代と様式から判断して、天明年間(1781-1788)の作と考えられる。
梵鐘は直径70cmで天明5年(1785)に鋳造された。本寺はもとは尼寺で、近郊の多くの信者から櫛やかんざしの寄進を受けてこれを鐘に鋳こんだものと伝えられ、澄んだ音色は美しく、戦時中も供出をまぬかれ現在も毎日撞かれている。
市川先生の墓
手習師匠市川松老翁の墓で文政6年(1823)門人たちが頒徳の意をこめて建てたもの。裏面には「葛西門人中当村彦田松齢女書」と刻まれているが、江戸川区教育史上大切な資料の一つといえよう。高さ1m。(「江戸川区の文化財」より)
昇覚寺所蔵の文化財
- 昇覚寺鐘楼(区指定有形文化財)
- 絹本着色仏涅槃図(区指定有形文化財)
- 紙本着色両界曼陀羅図(区登録有形文化財)
- 市川松老墓誌銘(区登録有形文化財)
- 葛西大師まいり(江戸川区無形民俗文化財)
昇覚寺鐘楼
天明年間の建立で、江戸時代中期の建築様式をよく伝える鐘楼です。昭和59年に解体復元修理を行いました。(江戸川区教育委員会掲示より)
絹本着色仏涅槃図
江戸時代後期の作と考えられる仏涅槃図です。全体に念入りな彩色が施されています。(江戸川区教育委員会掲示より)
紙本着色両界曼陀羅図
文政2年(1819)に豊山派総本山、大和長谷寺の両界曼陀羅を模写したものです。(江戸川区教育委員会掲示より)
市川松老墓誌銘
文政6年(1823)に村人に書道を指導した市川松老の徳をしのび門人たちが建てました。(江戸川区教育委員会掲示より)
昇覚寺の周辺図