薬王山東養寺|里見家滅亡時に家老の持仏木造薬師如来立像を本尊
東養寺の概要
真言宗豊山派寺院の東養寺は、薬王山と号します。東養寺は、国府台合戦(1563・1564)で里見家滅亡の際に家老の持仏であった木造薬師如来立像を本尊として、覚裔和尚が創建したといいます。
山号 | 薬王山 |
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院号 | - |
寺号 | 東養寺 |
住所 | 江戸川区東小岩2-5-9 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 墓苑募集 |
東養寺の縁起
東養寺は、国府台合戦(1563・1564)で里見家滅亡の際に家老の持仏であった木造薬師如来立像を本尊として、覚裔和尚が創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による東養寺の縁起
(下小岩村)東養寺
新義真言宗善養寺末薬王山ト号ス。本尊薬師(新編武蔵風土記稿より)
「江戸川区史」による東養寺の縁起
東養寺(東小岩二丁目五番九号)
真言宗豊山派、もとは近くの善養寺末で、薬王山光明院という。草創の由来は覚裔和尚が、鴻ノ台合戦で里見家滅亡の際家老の持仏であった木造薬師如来立像を本尊として一寺を建立したもので、通称「入谷の薬師様」といわれている。天保十二年類焼によって古記録を焼失した。寺宝として大巌寺祐天上人の「南無阿弥陀仏」の書一幅がある。
本堂前の延命地蔵尊はもと小岩駅前の通称地蔵通りにあったが、昭和三十八年ここに移されたものである。(「江戸川区史」より)
東養寺の周辺図