江島山寿昌院|松本弁天・臥竜の松
寿昌院の概要
黄檗宗寺院の寿昌院は、江島山と号します。寿昌院は、寿昌院桂月元皎禅尼(貞享元年1684年寂)が開基となり、寛文年間(1661-1673)に草創、その後天海道竜和尚が開山となり、江島山寿昌院と称したしたといいます。明治39年には本所小梅町の梅林庵を合併したといいます。
山号 | 江島山 |
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院号 | 寿昌院 |
寺号 | - |
住所 | 江戸川区松本1-9-14 |
本尊 | 千手観音像 |
宗派 | 黄檗宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 松本弁天 |
寿昌院の縁起
寿昌院は、寿昌院桂月元皎禅尼(貞享元年1684年寂)が開基となり、寛文年間(1661-1673)に草創、その後天海道竜和尚が開山となり、江島山寿昌院と称したしたといいます。明治39年には本所小梅町の梅林庵を合併したといいます。
江戸川区教育委員会掲示による寿昌院の縁起
黄檗宗で、貞享元年(1684)に、寿昌院桂月元皎禅尼が開基しました。草創は寛文年間といわれ、禅尼が小庵を結び、病気全快を祈願して弁財天を祀ったのがはじまりです。
本尊には、禅尼作の千手観音像(寛文9年作、1669)がまつられています。また、境内の弁天堂にちなんで、松本弁天とも呼ばれています。(江戸川区教育委員会より)
新編武蔵風土記稿による寿昌院の縁起
(松本村)弁天社
毘沙門、大黒二天の像を合祀す。境内に庵あり寿昌庵と号す。江戸深川海福寺持の本尊釈迦を安ず。社に向ひ左方に老松三株並び立り。共に高さ十五間許。中の松樹地上3尺許より西へ指る大枝ありて、それより左右へ廣がれること凡9間余に及へり。いとめつらかなる木なれば、其図を右に出せる境内図に載たり。(新編武蔵風土記稿より)
「江戸川区史」による寿昌院の縁起
寿昌院(松本町三一七番地)
通称「松本弁天」として知られ、仏堂弁天堂と不離一体の関係にある。黄檗宗で江島山と号し、寿昌院桂月元皎禅尼が開基した。禅尼はもと武州池田玄瑞の家室で、病身のため寛文年間小庵を結んで弁財天をまつり、病気平癒の祈願をこめたのが始まりである。全快の後仏門に入って寿昌と称した。貞享元年禅尼と息子池田権太郎藤原長強母子が寺地と田畑一町六反余を寄付して堂宇を建立し、大本山第四代独湛性瑩禅師の嗣法天海道竜和尚によって開山され、江島山寿昌院と称した。後に庵を院と改め、宝暦十二年七代呉山和尚が田畑三町六反を買い添え、明治三十九年三月には本所小梅町の梅林庵を合併している。
本尊に千手観音座像を安置しているが、この木像は寿昌院が池田家一門の繁栄と正法護持のため寛文九年に自ら彫刻したという。昭和五年仏像修復の時、胎内から金泥の千手観音経が発見された。幅九センチメートルの巻き物で、寿昌尼が手書して納経したものという。なお弁天堂に関しては史跡と名所の項に記載した。(「江戸川区史」より)
寿昌院所蔵の文化財
- 弁天堂と臥竜の松
弁天堂と臥竜の松
境内一面に敷きつめられた美しい芝生の奥にある。貞享元年(1684)開基の寿昌尼が創建せられたもので、弘法大師作といわれる六寸の弁財天女像がまつられ、「松本弁天」として古くから知られている。本堂前庭の半円形にめぐらされた「洗心池」のほとりにある「臥竜の松」は樹齢270年といわれ、枝を広げた姿の美しい名木である。
寿昌院の周辺図