妙法華山宣要寺|中山法華経寺第三世浄行阿闍梨日祐上人創建
宣要寺の概要
日蓮宗寺院の宣要寺は、妙法華山と号します。宣要寺は、中山法華経寺第三世浄行阿闍梨日祐上人が、隠居寺として応安3年(1370)に創建したといいます。
山号 | 妙法華山 |
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院号 | - |
寺号 | 宣要寺 |
住所 | 江戸川区北小岩2-37-15 |
本尊 | 日限満願日蓮大菩薩像 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
宣要寺の縁起
宣要寺は、中山法華経寺第三世浄行阿闍梨日祐上人が、隠居寺として応安3年(1370)に創建したといいます。
「江戸川区史」による宣要寺の縁起
日蓮宗に属し妙法華山と号し、もとは中山法華経寺の末であった。開山は応安三年(一三七〇)四月八日、中山法華経寺の第三世浄行阿闍梨日祐上人(一二九八-一三七四)が隠居して一寺を建てたのが始まりである。
本尊は等身大の木造日限祖師で、縁起によると、中山の富木播摩守の館に日蓮聖人が逗留して妙法弘通の説法をして時、近郷から多くの者が集まった。富木氏は聖人に長くこの地に留まってもらうため堂宇を建立し、境内の老樹をもって高祖の尊像を彫刻した。聖人はここで百日の説法をしたが、その満願にあたり尊像の彫刻を完成したので、聖人は自ら開眼して「満願日蓮」と名づけた。
その後富木播摩守は入道して日常上人と称し中山法華経寺を起した。日祐上人は下総千田庄の領主千葉大隅守胤貞の猶子であるが、浄行院と号して本妙寺(今の法華経寺)の第三世を継ぎ、後に隠居して小岩に宣要寺を開山し、この満願日蓮像を移して安置したといわれる。この尊像は「日限祖師」とも称せられている。
梵鐘は総丈一八〇センチメートル、口径九八センチメートル、重量一一二五キログラム、藤原定篤の鋳造である。本堂前の老松は「瑞鳳の松」と称し姿もよく一本の枝は山門まで長く伸びている。庭の奥に永井荷風の句碑があり、また安政六年起刻の略縁起版木及び天保十一年起刻の法華二十八品みくじの版木などを所蔵している。(「江戸川区史」より)
江戸川区教育委員会掲示による宣要寺の縁起
日蓮宗で、妙法華山と号します。応安3年(1370)中山法華経寺の第3世日祐上人が、一寺を建てたのが始まりです。本尊は、日限満願日蓮大菩薩像です。日蓮聖人が富木播磨守の館で、百日説法をした時、聖人に長く留まっていただきたいという願いを込めて富木氏が彫刻しました。満願の日に完成したので聖人は自らこの像の開眼をしました。
この尊像は、日限祖師といわれています。寺宝として、天保11年(1840)起刻の、法華経二十八品御鬮版木と、安政6年(1859)起刻の略縁起版木があります。
境内にある梵鐘は、藤原定篤の作です。また本堂の前庭にある老松は、瑞鳳の松と称し、姿も美しく一本の枝は山門まで伸びています。(江戸川区教育委員会掲示より)
宣要寺所蔵の文化財
- 柴又帝釈天石造道標(江戸川登録有形文化財)
佐倉道の要衝に、天保4年(1833)に建てられた高さ130センチの道標です。
宣要寺の周辺図