光ヶ嶽観音堂|江戸川区にある真言宗豊山派寺院

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神明山光ヶ嶽観音堂|神明山正真寺の境外仏堂

光ヶ嶽観音堂の概要

真言宗豊山派寺院の光ヶ嶽観音堂は、神明山正真寺の境外仏堂です。光ヶ嶽観音堂は、もと里見義豊・義俊の守り本尊だった観音像が、文禄5年(1592)沖田豊前守宅に飛来したことから、居宅内に観音堂を建立して創祀、昭和16年に神明山正真寺所有の境外仏堂となったといいます。

光ヶ嶽観音堂
光ヶ嶽観音堂の概要
山号 -
院号 -
寺号 光ヶ嶽観音堂
住所 江戸川区北小岩4-27
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



光ヶ嶽観音堂の縁起

光ヶ嶽観音堂は、もと里見義豊・義俊の守り本尊だった観音像が、文禄5年(1592)沖田豊前守宅に飛来したことから、居宅内に観音堂を建立して創祀、昭和16年に神明山正真寺所有の境外仏堂となったといいます。

新編武蔵風土記稿による光ヶ嶽観音堂の縁起

(小岩田村)觀音堂
観音長五寸、弘法大師の作と云。村民持(新編武蔵風土記稿より)

「江戸川区史」による光ヶ嶽観音堂の縁起

また北小岩四丁目二七番地の観音堂には弘法大師作という光ケ嶽観音がまつられている。これは一寸八分(約五.五センチ)の小金像で、もと里見義豊、義俊の守り本尊として常に甲胄の中に入れて戦場に出たものといわれている。その後義弘、義高、義頼に至り千福寺を建立してこれを祭ったが、義東に至って供養を怠ったところ、文禄元年のこと、沖田家の祖先豊前の寝所に何物かが飛来する物音に驚いて見ると観音の尊像が立っていた。翌朝千福寺に詣でて調べてと厨子の中には尊像がなかった。そこで豊前屋敷内に一字を建立してこれをまつり、当地方の人々の信仰を集めるようになったといわれる。昭和十六年に町会の決議によって正真寺所有の境外仏堂となった。(江戸川区史「正真寺」項より)

境内掲示による光ヶ嶽観音堂の縁起

光ヶ嶽観音堂の由来
正真寺境外仏堂の観音堂は、光ヶ嶽(てるがたけ)観音堂と号し弘法大師の大曼荼羅戒壇前にて鋳造された小金像をお祀りしています。
光ヶ嶽観音は一寸八分(約六センチメートル)ほどですが室町時代末期の武将里見義豊義俊の守り本尊で常に甲冑に収め戦場に赴いたと伝えられております。
その後観音像は千福寺(現存せず)に安置されましたが里見家子孫に至って供養を怠ったところ文禄元年(一五九二)地元の沖田家祖先豊前の枕元で大きな音が響き驚いた豊前が跳び起きると観音像が立っていたといいます。
翌朝豊前が千福寺に詣でるとそこに観音像はなく豊前は屋敷内にお堂を建立以来観音像は江戸明治大正昭和平成を通じて北小岩の信仰となったものです。
地元の由緒ある文化財と言えるでしょう。
またかつてのお堂は火災・戦災で被害を受けた人たちに貸し出されたりお年寄りの集い踊りの稽古場にも利用され馴染み深い観音堂なのです。
地元の皆様のご協力を得て堂宇再建の機にその由来を記す。(境内掲示より)


光ヶ嶽観音堂の周辺図