妙高山本城寺|江戸川区鹿骨にある日蓮宗寺院

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妙高山本城寺|本土寺12世日暁上人が開山

本城寺の概要

日蓮宗寺院の本城寺は妙高山と号します。本城寺は、本土寺12世日暁上人が開山となり、日暁上人の隠居寺として弘治元年(1555)に創建したといいます。

本城寺
本城寺の概要
山号 妙高山
院号 -
寺号 本城寺
住所 江戸川区鹿骨4-20-1
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



本城寺の縁起

本城寺は、本土寺12世日暁上人が開山となり、日暁上人の隠居寺として弘治元年(1555)に創建したといいます。

新編武蔵風土記稿による本城寺の縁起

(鹿骨村)本城寺
法華宗、下総国葛飾郡平賀村本土寺末、妙高山と号す。本尊三寶祖師を置り。開山は本寺(本土寺)十一世日暁と云。
鐘楼。安永6年鋳造の鐘をかく。
三十番神社
寺中、顕性坊(新編武蔵風土記稿より)

「江戸川区史」による本城寺の縁起

本城寺(鹿骨四丁目六六番)
日蓮宗で妙高山と号し、もとは千葉県平賀の本土寺の末であった。弘治元年(一五五五)八月本土寺の十二世貫主日暁上人が鹿骨の地に隠棲して草庵を結んだのが始まりで、本尊に十界大曼陀羅をまつる。第六世日鐃上人の代に火災で全焼し、十世日覚上人が仮本堂を再建して復興につとめたが、寛永五年十二月本土寺の貫主日述上人が不受不施に連座して四国に流罪になり、当山もその余波を受けて信徒の改宗する者も多かった。しかし寛文九年頃には改宗した信徒も帰り、第十一世日通上人が本堂を再建し、天保十二年には日鏡上人(二十二世)が再度改築した。その後大正十二年九月一日第二十七世の入寺式の時、関東大震災で倒壊するなど度々の災害を受けている。現在の本堂は昭和四年四回目の建立である。境内に番神堂があり、又梵鐘は藤原定為の作で昭和三十六年の新鋳である。(「江戸川区史」より)

本城寺の周辺図