花蔵院。足柄上郡山北町にある真言宗東寺派寺院
花蔵院の概要
真言宗東寺派寺院の花蔵院は、清榮山十林寺と号します。花蔵院の創建年代等は不詳ながら、現般若院地近くに開創、明応元年(1492)に隆賢が寺地を移転させて中興開山、正徳2年(1721)の洪水により荒廃し、当地へ移転したといいます。
山号 | 清榮山 |
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院号 | 花蔵院 |
寺号 | 十林寺 |
住所 | 足柄上郡山北町向原2509 |
宗派 | 真言宗東寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
花蔵院の縁起
花蔵院の創建年代等は不詳ながら、現般若院地近くに開創、明応元年(1492)に隆賢が寺地を移転させて中興開山、正徳2年(1721)の洪水により荒廃し、当地へ移転したといいます。
「山北町史通史編」による花蔵院の縁起
華蔵院
清栄山十林寺と号し、古義真言宗金子村(大井町)最明寺の末寺である。寺地は古くは川村山岸の般若院のあたりにあった(墓所の前の小畑を華蔵院屋敷という)が、明応元年(一四九二)に隆賢が村内に移して再興した。そのため隆賢を中興関山としている。その後、正徳二年(一七二一)洪水のために境内が荒廃したため現在地に移ったという。本尊は不動明王である。(「山北町史通史編」より)
新編相模国風土記稿による花蔵院の縁起
(川村向原)
華蔵院
清榮山十林寺と號す、古義眞言宗、(金子村最明寺末、)寺地往古は河村岸般若院の邊(墓所の前小畑今に華蔵院屋鋪と云)にありしが、明應元年、住職隆賢村内に移して再興す、(當時の地所詳ならず、)故に賢を中興開山とす、(明應九年三月廿日寂す、)其後正徳二年、洪水の爲に境内荒亡せしにより、官に請て又今の地に移せしと云、其時の文書今に蔵せり、
(曰、右境内水入沙埋候に付、急雨御林へ寺地引移之儀者、先達而願之通申渡候、右御林之内、寺地引替被下候地に有之立木之儀、寺建候場所之分者伐取、直に華蔵院へ被下之候、殘分者、爲風除其儘差置、伊奈半左衛門方に而吟味之上、木數帳面に印置、華蔵院へ御預に罷成候事、只今迄之華蔵院寺地に有之立木之分者、寺建候入用に、華蔵院へ伐取申筈に候之事、右之通相心得、伊奈半左衛門へ可申談候、六月十八日標書、相州華蔵院へ、)
本尊不動(長二尺五寸智證作、)左右二童子を置(長各一尺五寸運慶作)
△十王堂。舊は村の東南にありしを、後境内に移せしと云、舊地今に存せり、
△鐘樓。鐘は明和八年の鑄造なり、(新編相模国風土記稿より)
花蔵院の周辺図
参考資料
- 「山北町史通史編」
- 新編相模国風土記稿