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船喜田神社。厚木市松枝町の神社、旧厚木村総鎮守

船喜田神社の概要

船喜田神社は、厚木市松枝町にある神社です。船喜田神社の創建年代等は不詳ながら、かつて愛甲郡に船田郷(船喜田郷)があり、郷中の鎮守社として創建したのだろうといいます。江戸期には厚木村の総鎮守として祀られ、慶安2年(1649)には江戸幕府より社領5石5斗の御朱印状を受領していました。明治6年厚木神社に合祀され、当社は廃社となったものの、明治25年再建されたといいます。

船喜田神社
船喜田神社の概要
社号 船喜田神社
祭神 大己貴命
相殿 -
境内社 大六天、稲荷
祭日 -
住所 厚木市松枝町1-13-1
備考 -



船喜田神社の由緒

船喜田神社の創建年代等は不詳ながら、かつて愛甲郡に船田郷(船喜田郷)があり、郷中の鎮守社として創建したのだろうといいます。江戸期には厚木村の総鎮守として祀られ、慶安2年(1649)には江戸幕府より社領5石5斗の御朱印状を受領していました。明治6年厚木神社に合祀され、当社は廃社となったものの、明治25年再建されたといいます。

新編相模国風土記稿による船喜田神社の由緒

(厚木村)
船喜田明神社
惣鎮守とす、祭神大己貴命、例祭九月廿九日、慶長十二年の鰐口を掛(銘に、當國相模厚木郷、願主溝呂木孫左衛門、別當厚木山東光寺慶長十二年未五月吉日彫す)、當社は【倭名鈔】船田郷の遺名なるべければ古社なること知べし、事は村名の條に記載す、慶安二年社領五石五斗の御朱印を賜ふ、
本地堂。薬師の石像を置、
末社。稲荷三、疱瘡神
鍾樓。鐘は天和三年の鑄造なり、
別當東光寺。厚木山薬師院と號す、古義眞言宗高座郡河原口惣持院末、大日を本尊とす、社領の御朱印に東光寺内船喜明神云々と載られたれど、今は全く別當寺となれり、(新編相模国風土記稿より)

神奈川県神社誌による船喜田神社の由緒

非法人のため掲載なし(神奈川県神社誌より)

「厚木市史史料」による船喜田神社の由緒

船喜多神社(松枝一丁目十三の十九)
当社は祭神として大巳貴命をまつり江戸時代には厚木村の総鎮守社であった。
「倭名妙」相模国愛甲郡の郷名中に「船田郷」とあり。当社は郷内の鎮守社として創建されたのであろう。社地内より土師器の小査が出土しているところを見ると古代末期にすでに祭祀されたことも考えられる。
徳川時代には別当として東光寺があり、元禄の水帳によれば、東光寺は除地・名請地合せて一町七反五畝七歩を有していた。これは、厚木村の社寺領中最大の数字である。当社では、明治五年の太政官布達による「氏子の札」を発行していた。その後明治七年厚木神社に合祀されたが、氏子が再び旧地に社殿を新築して現在に至っている。(旧社殿は明治十八年十二月二十日乞食の失火によって焼失する。)氏子は松枝・元町・本町の住民たちである。現在祭礼は九月十九日(大正以前は九月二十九日)(「厚木市史史料」より)

境内掲示による船喜田神社の由緒

古代、この地方を船喜田郷(後に船田郷)と称された頃、郷中の鎮守社として本社(船喜田明神社)は勧請された。以来、この地方を厚木郷と称して、後も郷民崇敬篤く八百余年の歴史を伝承す。
近世(江戸時代)に入ると牛頭天王社(註:現厚木神社)・熊野大権現と共に厚木村の鎮守となり、船喜田明神社はその総鎮守であった。
当社の本地仏は薬師如来にして別当(厚木山)東光寺の支配下にあった。
明治六年明治政府の神仏分離令により厚木町の三社を合祀して郷社厚木神社が創建されると当船喜田明神社は廃社となる。
古来より由緒ある神社にして町民の崇敬厚く再建の議起り明治二十三年九月厚木町長より神奈川県知事へ神社復旧願が提出され明治二十五年本殿が再建新築された。
爾来厚木地区松枝元町東町の住民を氏子として毎年九月十九日を祭日としていたが現在では九月中旬の曜日に開催される。(境内掲示より)


船喜田神社の周辺図


参考資料
  • 新編相模国風土記稿
  • 神奈川県神社誌
  • 「厚木市史史料」