温水山専念寺。地名温水由来の伝承
専念寺の概要
時宗寺院の専念寺は、温水山無量院と号します。正安年間(1299-1301)村内の池から得た仏像を安置して草堂を建立、この仏像は建長4年(1253)に被災した一乗尼寺で失くした仏像で、池は熱を帯びたことから地名温水が生まれたといいます。徳治2年(1307)にこの仏像の由来を聞いた時宗2世他阿真教上人(元応元年1319年寂)が、草堂に山号寺号を命じ、専念寺として開山したといいます。慶安2年(1649)には、阿弥陀堂領として10石の御朱印状を受領しています。
山号 | 温水山 |
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院号 | 無量院 |
寺号 | 専念寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 厚木市温水689 |
宗派 | 時宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
専念寺の縁起
正安年間(1299-1301)村内の池から得た仏像を安置して草堂を建立、この仏像は建長4年(1253)に被災した一乗尼寺で失くした仏像で、池は熱を帯びたことから地名温水が生まれたといいます。徳治2年(1307)にこの仏像の由来を聞いた時宗2世他阿真教上人(元応元年1319年寂)が、草堂に山号寺号を命じ、専念寺として開山したといいます。慶安2年(1649)には、阿弥陀堂領として10石の御朱印状を受領しています。
新編相模国風土記稿による専念寺の縁起
(温水村)
専念寺
温水山無量院と號す、時宗(藤澤清浄光寺末、)縁起に據に正安中村内の池中より彌陀の像を得たり、或老翁曰、これ一乗尼寺(今恩名村に在)の本尊にて建長四年彼寺丙丁に罹りし時失ふ所の像なりと、依て池邊に草堂を建て安置す、徳治二年遊行二祖眞教當麻山に(高座郡の屬、)在て此像の来由を聞、草堂に就て一寺となし山寺號を命ず、故に眞教(元應元年正月二十日卒)を開山とす、彌陀像は今に内佛に安ず(長一尺)慶安二年阿弥陀堂領十石の御朱印を賜ふ、本尊彌陀(中尊長二尺七寸安阿彌作、)を置、
天神社(新編相模国風土記稿より)
厚木市史史料による専念寺の縁起
温水山無量院専念寺(温水)
専念寺はほぼ温水の中央にある。時宗の寺院であって、今からおよそ七百年前の徳治元年一月二十七日真教上人の開基に係り、藤沢の清浄光寺(遊行寺)の末寺である。当時の本尊は銅仏の仏陀善逝である。
昔、聖徳太子は隣村尼寺原に三宇の伽藍を建てて一乗寺と号し丈一の弥陀を安置して、玉照尼に住ませていた。其の後年経て殿堂は廃毀してしまった。承久三年昨八月に鎌倉二位尼が再建したが、後探草院の建長四年の夏に堂宇は焼亡してしまった。
其の時一塊の火炎が飛んで来て、当時の門前の池中に落ちた。郷民は不思議に思って、池辺に行って之を見ると、霊仏が池中にあって光明赫々、池中洵湧して温水のようになった。此に於て一宇を建てて、霊仏を安置した。
これが当地を温水と名づけ池を光温といい遂に温水と号する様になり、寺を専念寺と称する様になった。(専念寺 在家用教典より)(「厚木市史史料」より)
専念寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「厚木市史史料」