橋澤山正覚寺。海老名市門沢橋にある高野山真言宗寺院
正覚寺の概要
高野山真言宗寺院の正覚寺は、橋澤山延命院と号します。正覚寺の創建年代等は不詳ながら、江戸期には神壽稲荷社(渋谷神社)の別当寺を勤めていました。本尊の十一面観音菩薩坐像は江戸時代前期の作とされ、海老名市重要文化財に指定されています。
山号 | 橋澤山 |
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院号 | 延命院 |
寺号 | 正覚寺 |
本尊 | 十一面観音菩薩坐像像 |
住所 | 海老名市門沢橋4-13-13 |
宗派 | 高野山真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
正覚寺の縁起
正覚寺の創建年代等は不詳ながら、江戸期には神壽稲荷社(渋谷神社)の別当寺を勤めていました。
新編相模国風土記稿による正覚寺の縁起
(門澤橋村稲荷社)別當正覺寺。
橋澤山延命院と號す、古義眞言宗岡田村安楽寺末 本尊十一面観音長一尺二寸、運慶作、則稲荷の本地佛なり、
薬師堂(新編相模国風土記稿より)
正覚寺所蔵の文化財
- 正覚寺本尊木造十一面観音菩薩坐像(海老名市指定重要文化財)
正覚寺本尊木造十一面観音菩薩坐像
本尊の木造十一面観音菩薩坐像は、像高四八・五センチの寄木造り、玉眼嵌入です。肉身部は金泥、条帛・衣文などは黒漆塗りです。頭上には仏面、化仏の十一面を据え、左手に蓮華のつぼみの入った水瓶を持ち、右手は、願いをかなえる与願印で垂下しています。
江戸時代に編さんされた『新編相模国風土記稿』には、鎌倉時代の運慶作と記されていますが、実際の制作は江戸時代前期ごとと考えられています。ただし、作風は、中世の仏像を手本としており、まとまりの良いものとなっています。
昭和五十四年に解体修理を行い、残された特徴をもとに、ほぼ創建当時の姿に復元されました。この復元の際に、像内から胎内仏(木造十一面観音坐像・一木造)が発見されました。平成七年に実施された海老名市仏像悉皆調査によれば、その作風は、本尊よりも遡る室町時代後期ごろの作とされています。(海老名市教育委員会掲示より)
正覚寺長谷川家石造宝篋印塔
正覚寺の周辺図